暗い病室の天井を見つめていた―九死に一生を得た話、もしあのとき・・・・・―Ⅱ
近所の仲良しだった大学生のお兄さんの自転車の後ろに乗って、海の方へ遊びに出掛けた私。
ところが、そのお兄さんが操作を誤ったため、高さ7,8mの堤防から転げ落ちてしまった。
下手をすれば命にかかわるところを、途中の階段にひっかかってなんとか怪我だけで済んだのだった。
その後、病院に運ばれて、もう外は夜になっていたところまで覚えていた。
病院に運ばれてしばらくした頃、父と母が血相を変えて駆けつけてきた。
父がお兄さんではなく、ベッドの私の方に
「いったい、何があったんだっ!」
みたいな言葉で怒鳴りつけたことを覚えている。
幼い私の方へ怒鳴りつけるなんて、おそらく、ひどく気が動転していたのだろう。
血が噴き出していたあごの傷は、堤防から落ちたときに、自転車のハンドルのブレーキ用の細い握り部分の方が私の顔を貫いてついたものらしく、結構深かかった。
縫合手術が行なわれ、針を通すとき、2,3回チクチクっと痛かったことを覚えている。
その傷跡は、小さくなったものの今でも残っており、上から触ると、その部分のあごの骨がほんの少し欠けていることが指先の感覚で分かる。
傷跡は小さいけれど、私にとって今までで一番深い外傷だったかも知れない。
おそらく、顔にはグルグルと包帯がまかれていたのであろう。
その夜、一晩中、その傷にドクドクっと脈を打つように鈍痛が襲ってきたこと、暗い病室の天井を見つめていたことなども記憶に鮮明である。
あごの傷の応急処置をした後、医者に
「ほかに痛いところはないか。」
と聞かれ、
「息をすると胸が少し痛い。」
と私が答えたので、レントゲンを撮ることになった。
すると、左の肋骨が一本折れているのが見つかった。
そこで、服を脱がされ、身体の胸の部分をグルグルっと大きな絆創膏のようなもので巻いて固定された。
それによって、なんだか息をするのが苦しかったことを覚えている。
事故が起きたその日と、なんだか悪夢のようだったその夜の記憶はこれくらいである。
ただ、ここまで書いてきたように、その日の記憶は、時系列とところどころにややあやふやなところはあるものの、極めて鮮明に再現することができるのだ。
つづく