父さん、ぼくのときも頼むよ―AO入試の思い出、親子奮闘記―Ⅷ(おしまい)
家族全員で取り掛かった娘のAO入試。
なにせ初めてのことなので、戸惑うことは多かったが、とにもかくにも提出するところまではこぎつけることができたのである。
とはいえ、これが「合格」の2文字を得られるものかどうかは、半信半疑以下の気分で待っていたのである。
ところが、そんな我々家族に届いたのは、なんと「合格」の通知であった。
いろいろと紆余曲折はあったものの、わが家初のAO入試チャレンジは、見事に勝利を勝ち取ることができたのだ。
それにしても、私個人としては、大学への道は随分と広く開放されてきたものだ、という感想を禁じえなかった。
団塊の世代のすぐ後に生まれた私は、厳しい受験競争の中で生きてきた。
まだまだ若者人口が多かった当時、私が受験した頃の競争倍率は、現在の比ではなかったのだ。
大学の数も今よりは随分少なかったと思う。
また当時、受験方法も、試験日に試験を受ける、というほぼ一本しか存在しなかったのである。
今では、推薦入学、AO入試、得意分野のアピール、普通の受験、その他いろいろな入学方法を大学は設けていて、受験の間口は随分広くなっているのだ。
さて、それから4年後、末っ子の長男も、理系ではあったが次女と同じ大学をやはりAO入試で受験した。
学部が違うからか、このときは最初のAO入試のようなやたら高邁な課題は出なかった。
次女のときの私の奮闘ぶりを見ていた長男は、受験前から当たり前のように
「僕のときにもお父さん頼むよ。」
と言っていた。
私は
「馬鹿やろう!自分の試験は自分でどうにかするんだよっ!」
と言い返しながら、またこのときも、なんとか格好がつくように、ない知恵を絞りに絞ってサポートしたのである。
すでに姉弟が、同じ大学に通っているというのは、強いアピールポイントになったらしく、長男も無事受かることができた。
今目の前にあるAO入試の冊子は、どうやら長男のときのものらしい。
久しぶりに目の前のAO入試のシートを見ながら、普段、全く何の頼りにもしていなかった子供たちが、あのときばかりは、ノー天気親父の私のことを当てにしていたなあ、と懐かしく思い出したのである。
孫の入試のとき、私の出番はあるだろうか。
娘たちの婿殿はどちらも優秀そうだから、まあじいじの出番はないか・・・・
AO入試の冊子とヒントなどを書き込んだノート
おしまい
今日の川柳コーナー
◆年の功 なんとか対応 AO入試
◆徹夜して 無い知恵絞る AO入試
まあ、さすがに徹夜で添削はもう無理かな・・・・