3つのパターンを考える―人生相談、自分に気付いていない人の「場」なのか?!―Ⅰ
新聞の「人生相談コーナー」でいろいろと相談されている内容について、関心を持って見ていることはこれまでも触れてきた。
先日も、このブログで取り上げたばかりである。
今までこのブログでは、様々なテーマを扱ってきたが、「人生相談コーナー」については、どれくらい取り上げたのか検索してみた。
すると、結構な回数取り上げていて、あれこれと書いていることに改めて気がついたのである。
そうやって振り返ってみて、人生相談コーナーからブログのテーマとして取り上げるとき、3つのパターンがあることがわかった。
改めて見てみると、ただ取り上げていただけではなく、そのパターンによって、こちらの感想もかなり異なったものになっているようである。
第一のパターンは、相談内容そのものに共感するというものである。
不運な境遇や苦しい胸のうちに対して、同情や共感を覚え、思わずなにか書きたくなる、というパターンである。
これは相談者が、その人の人生の中で遭遇した出来事や運命のようなものに翻弄されたり、苦しんだりしている状況を吐露するもので、こちらも感情を揺さぶられる内容のものが多い。
第二のパターンは、相談者が触れている「相手」の問題ということになる。
非常に困った人間が身近にいて、その人の我が儘な性格やキャラクターに翻弄されるというものである。
パターンとしては嫁舅あるいは嫁姑の確執、或いは旦那さんが異常に我がままといったケース多い。
中には、ヘェーッ、そんな人が世の中にいるんだ、と驚かされることも少なくないのである。
第三のパターンは、相談者その人が呆れたキャラクターというケースである。
相談してくる本人は気がついていないが、明らかに一般的な考え方や判断基準から離れているにもかかわらず、当然のように自分の主張を強く訴えてくる。
ときには
「この人、本当にこんなこと考えているのかな?!」
と思うほど、自分勝手な論理を振りかざす人もいる。
そんなとき
「この相談、創作じゃないの?やらせかも知れない!」
と考えてしまうくらいである。
相談、お聞きいたします。
つづく