友の真心に感謝しなくてはならない・・―50年来の友情消える?!?―Ⅳ
大学のOB会の会長職を、前会長である50年来の友人に推薦してもらえなかったのが残念でならない、という内容の新聞の人生相談コーナー。
なんだ、そんなことかよ!と思う一方で、この手の相談に対してどのような回答が成されるのか、興味が湧いてくる私。
回答者は作家の出久根達郎氏であった。
出久根氏は冒頭で次のように述べておられた。
― あなたのおっしゃる友情がどんなものか、わかりかねますが、つまり友情なるものの認識の違いが、お二人の間に垣を作ったのではありませんか。―
うーん、まさにその通りであろう。
一緒になって大学のOB会に貢献したのだから、会長であった彼が次期会長に自分を選ぶのは当たり前だろう、というのがこの相談者の考える友情の証(あかし)だったようである。
これに対して、友人(と思っていた相手)の方は、そういうことが友情だとは思っていなかったのではないだろうか。
この相談者は、そのために50年来の友情が一瞬にして雲散霧消した、と捉えているが、友人の方は果たしてそう考えていたのであろうか。
胸のうちは伝えなかった、と書いているので、先方は知らないままに亡くなったのかも知れないが、態度その他でこの相談者の気持ちに気がついていた可能性はある。
そのあたりのやり取りが、あったのかなかったのかは、この投稿からはわからない。
友人があえて触れなかったのであれば、出久根氏が書かれている次のようなことが考えられる。
― 友人はあなたのことをよく理解していた、と思います。
あなたの本質や力量、性格や才覚、長所短所をわきまえていたから、あえて推挙しなかったと私は取ります。
あなたに恥をかかせたくなかった。
これぞ友情ではありませんか。
あなたは、友の真心に感謝しなくてはならない。―
これは大変重い言葉である。
柔らかい言い回しではあるが、この相談者の本質をよく突いている。
「あなたに恥をかかせたくなかった。」
とは、ちょっと意外な、随分この相談者に配慮した言い方のような気がする。
「とてもその器ではないと見ていた。」
と書くところを、作家らしい表現で巧みに置き換えているのだ。
心がモヤモヤしますか?
つづく