「同情」はみじんも得られない!―我がままと孤独は一対であり、それは必ず禍となって返ってくる―Ⅵ(おしまい)
70代になって、奥さんに離婚を切り出され、やや途方に暮れている男性からの人生相談。
自分でも言っているように、かなり自分勝手な人だったようで、私から見てそんな仕打ちも無理もないかな、と思っていたら、回答者の最相葉月さんのコメントもかなり辛口である。
最相さんは、奥さんの気持ちを翻意させるのは無理、と言いながら、この男性の今後については次のように締めくくられていた。
― この先どう生きていくかはご自分で考えるしかありません。
当面あなたがやるべきは、奥さまが困らないように財産分与などの手続きに誠実に応じることです。
それがあなたの償いです。
心からの感謝とねぎらいの言葉も忘れずに。
何に感謝し、何をねぎらうのか一つひとつ丁寧に確かめながら、です。
そんな時間がこれからのあなたの生き方を変え、支えとなってくれるかもしれませんから。―
いやはやなんとも厳しいお言葉である。
まず、最相さんの言葉には、奥さんへの気遣いはあっても、この相談者に対して、同情する様子はみじんもない。
まあ、これが正しいのであろう。
「大いに反省するように。」
とまず釘を刺して、その後の生き方は、
「それができて、ようやく多少はましになるかもね。」
と突き放しているのだ。
我がままに生きてきた男の最終到達点は、こんなことになるのだ、ということを我われ男性は強く肝に銘じなければならない。
同情のかけらも期待することはできないのである。
私も、結婚したとき、育った家の家風があまりに異なっていたために、カミさんとの価値観のすり合わせに随分戸惑ったことがあった。
かなりあれこれあったのだが、相当強烈だった私の実家の方の価値基準の方を捨てて、カミさん側に合わせることにしたのである。
振り返ってみれば、これは私の人生の選択の中では、極めて正解だったと思っている。
尤も、カミさんがそう感じてくれているかどうか、何ともわからないが・・・・
いい年になった今でも、カミさんに捨てられるかも知れない、という危険性がないわけではない。
そのリスクは常にはらんでいる、と覚悟しながら生きている日々である。
こうなれればいいですけど・・・・・
おしまい