試験で決まる学生時代―口説いてみればわかる、百の理論より一回の実践の方が勝っている理由―Ⅰ
同窓会などで、何十年ぶりかに同級生に会うと、それぞれがそれぞれの道を歩んできたことがわかります。
そんな中で、
「あいつ、昔は結構勉強とかできていたし、優等生で先生の受けなども良かったけど、大人になってみるとなんだかパッとしないなあ・・」
といった人もいれば、
「あの頃は、きかん坊でしょっちゅう先生に怒られていたけど、今は会社を経営したりと羽振りがいいようだな。」
という人もいます。
まあ、こんな現象はよくある話で珍しくもありません。
こういった違いはどこからくるのでしょうか。
いろいろな要素が考えられるのでしょうが、今回は実践力或いは実行力というキーワードで考えてみましょう。
学生時代、勉強ができるというのは、単純に試験の点数がいい、という極めて明快な尺度で決まります。
そのほかの基準で判定されることはありません。
日本の場合、クラス全員に小説を書かせて、そのオリジナリティーの面白さで判定するなどという試みはしていないはずですから、シンプルにテストの点数で決まるわけです。
私は中学受験で進学校に進みましたが、ここではそれがもっと際立っていて、勉強のできない人間はその存在価値さえ疑われることになります。
人並み以上に勉強をする、ということを前提に入学するわけですから、ちゃんと頑張ればよかったものの、私のようにその肝心な勉強をサボってしまうと、必然的にはじき出されるような結果になるのです。
まあ、私の話はいいとして、学校という枠を卒業して社会人になったあと、別の形で「差」がついていくのは、どういう要因によるのでしょうか。
それは一にも二にも「実践力」によるのではないか、と思うのです。
頭のいい人間はとかく理屈で考えます。
「こうしたらどうなるだろうか?こうした方がいいのではないか?いや、こうすればリスクが高いかも知れない。こっちの方法も考えられる・・・」
等々、頭の中で理屈をこねくり回して、なかなか実践に至りません。
それどころか
「もういっぺん、文献を調べ直してみよう。」
なんて結論に至るかも知れません。
勉強すればよかったなあ・・・・・
つづく