「専門性」という優位性が急速に薄れつつある―社長は世の中の期待に「応える」存在、「答える」だけでは不充分―Ⅰ

私たちのよく知っている言葉に「答える」という言葉と「応える」という言葉があります。

微妙な意味の違いはありますが、普段私たちはそれほど意識して使い分けてはいないのではないでしょうか。

 

「答える」というのは、一つの疑問や課題に対して何かしらの解答を出すときに使っています。

例えば、学校のテストなどはあらかじめ解答は決まっていますので、その「範囲」は比較的明確です。

 

それに対して「応える」の方は、期待に応える、といった風に相手にある種の精神的な満足感を与えるようなときに使われています。

「答える」に比べて、やや曖昧でありその範囲はより広いものになります。

 

普段、私たちは仕事(ビジネス)を通じて、こちらが持っている専門性や商材を提供し、お客様の要望を充足させています。

特に、こちらにしかないであろう専門的な知識については、通常、顧客の側では持ちあわせていません。

 

先方に、何かしら解決したい課題や疑問がある場合、きちんとした「解答」を出すという形で、その都度私たち専門家は「答え」ているのです。

普段の仕事では、このように単発的に「答え」を出していれば、それで十分顧客の満足は得られるでしょう。

 

しかしながら、このただ「答える」だけの仕事に終始していると、少し問題が出てきます。

どういうことでしょうか。

 

それは「答える」タイプの仕事は、今の時代ほぼ「検索」で解答を見つけることが可能となったからです。

そのために、かつてこちら側にしかなかった「専門性」という優位性が急速に薄れつつあるのです。

 

かつては、特定の分野の知識を頭脳に詰め込めるだけ詰め込んで、それを専門性として切り出していくことで、充分仕事として成立していました。

またそれが、一般人とは差別化された「専門家」としての存在感を示すことになり、敬意が払われていました。

 

私のような資格業は特にその傾向が強いことになります。

これは専門性を持つほかの事業の経営者においても同様ではないかと思います。

 

              専門家会議であります。

つづく