今では随分贅沢になったなあ・・・―五右衛門風呂の思ひ出、昭和、お釜の中に入っていたあの頃―Ⅲ(おしまい)

毎日火を起こして、適当な湯加減になるまで沸かしてからでなければ入れないので、ひどく面倒だったり、その火のおかげで煙くてたまらなかったりと、極めて原始的な構造ゆえに大変な思いをさせられた五右衛門風呂。

ほかにもあれこれと辛いこともありましたなあ・・・

 

そのほか大変だったのは、母屋にくっつけて建てた掘っ立て小屋みたいなお風呂場だったために、室内への断熱がほとんど効いていなかったことである。

夏はともかく、冬の寒いときはたまらなかった。

さっと入れないような湯加減のときは、ガタガタ震えながらお湯の温度を調整したものである。

 

とにかくこの温度調整というのが大変だった。

今みたいに一定の温度のお湯がいくらでも蛇口から出てくるわけではないので、お風呂のお湯を減らし過ぎないように加減しながら使わなくてはならない。

追い炊きしながら入ると、今度は煙くてたまらない、というようにうまくお風呂を使いこなすだけでもえらい思いをしたのである。

 

テレビ番組などでときどき、大自然の中でドラム缶のお風呂に入って「最高ですねぇ~!!」などとお笑いタレントがほざいたりしているが、あれが毎日のことになると結構大変なのだ。

まあ、私のこの話を聞いて、おそらく「珍しい!面白そう!」という人も多いと思う。

しかし、あの危なっかしい入浴光景を思い出すと、とてもそんな気分にはなれないのである。

 

その後、父が新しく事務所兼住宅を建てて引っ越したので、あの家に住んだのは3年足らずだったはずだが、その間ずっとあの五右衛門風呂だったのだろうか。

今となっては定かに思い出せない。

 

何故、五右衛門風呂のことなど、こんなにこと細かく思い出して書いたかというと、今では随分贅沢になったなあ・・・と思うからである。

現在、あの丸くて狭いお釜よりは断然広い湯舟に、火傷など気にすることなくよっかかって入ることができる。

 

お湯はいつでも好きなだけ出すことができるし、少し冷めたと思ったら、追い炊きすることだって可能だ。

洗い場についているカランは、蛇口とシャワーがセットになっていてとても便利である。

 

昭和の途中までとは格段に違う豊かな生活空間に今生きているのだ。

科学技術の発達で世の中はもっと便利になるだろう。

そんなとき、ふとあの五右衛門風呂を思い出して「ありがたいなあ・・・」とちょっと昔に思いをはせるのもいいかも知れない。

 

            ちょっと贅沢な今のお風呂(*^^)

おしまい