必要なのはアクロバティックな入湯技術―五右衛門風呂の思ひ出、昭和、お釜の中に入っていたあの頃―Ⅱ

引っ越した先の借家にあった内風呂が五右衛門風呂だったという驚き。

鉄製の大きな釜という、始めてみるその形状にびっくりしたり、初めその入り方がわからないのでえらく戸惑ったりと、五右衛門風呂にまつわる思い出はいろいろとありまして・・・・

 

このお風呂が難しかったのは、その丸い板の上に乗り、それを平行に保ちながら、底まで沈めることと、身体が浸かりきったあと、背中を風呂釜の側面にくっつけないようにすることだった。

というのは、鉄のお風呂は底だけでなく、側面も相当熱かったからである。

 

つまり、かなりアクロバティックな入湯技術が要求されたのだ。

特に、子どもの私にとっては、板製の浮き蓋を、バランスを取りながら沈めるのは大変だった。(乗りそこなって、側面や底に足や身体をくっつけようものなら「あっちっち!」となるのである。)

 

私より幼かった弟や妹は、あの風呂釜でどうやっていたのだろう?

今度聞いてみよう。(どーでもいいですね、こんなこと。)

 

そのほかにも、この五右衛門風呂にはいろいろと困った点は多かった。

まあ、極めて原始的な作りだから仕方がないといえば仕方がなかったのだが・・・

 

大変なことの第1は、まずなんといっても、お風呂を沸かすには、毎日風呂釜の下の焚口に火を起こさなければならないという作業だった。

当時は身の回りの様々な道具や建物その他は木造のものが多かったので、燃やす木材や木切れにはこと欠かなかったような気がする。

 

そのおかげで、火を起こすのには苦労しなくなった。

大人になり、家族で出かけて、アウトドアで遊ぶときなど、なかなか火が起こせない若者のグループとかをしり目にとっとと焚火などをして楽しんだものである。

 

ただ、この火をたくというのがくせ者だった。

というのは、火の焚口もお風呂と同じ室内だったために、燃やしながらお風呂に入ると燃え方によっては煙くて煙くてたまらなかったのである。

ときには涙をぼろぼろ流しながら入ったこともあった。

 

              まあ、こんな感じですが・・・

つづく