一度信頼を得たならば、決してそれを裏切らないようにしなければならない―「裏切り」という行為を通して己を振り返る―Ⅴ
幼少期から小学生時代くらいまでのまだ子供時代のスタートがそれほど悪くなかったために、その後「期待を裏切っちゃったなあ・・」という期間が長かった私の人生。
それでは、冒頭に書いたもう一つの「裏切り」の対象となる「信頼」の方はどうだろうか。
よく考えてみれば「期待」と「信頼」は、わりと近くにあるわけで、「期待」を裏切るということは、或る意味「信頼」を裏切ることと同義になることも多い。
「きっとやってくれるものと信頼し、期待もしていたのに裏切られた。」
といったフレーズはよくあることで、自分に当てはめてみれば、結局そういうことを繰り返してきたことになる。
現在私は68歳。
大半の同級生は既に現役を退き、中には悠々自適の生活を送っている者も少なくない。
年齢的には、これから周りに大いに期待される、という立場ではすでになくなってきていることになる。
ただ、信頼とか信用とかいう点でいえば、若い頃に比べてそれなりのポジションを得ているわけで、よほどのドジを踏まなければ、世の中の信頼を裏切るということはないだろうと思う。
そこそこ安全運転を怠らなければ、このまま無事に行きそうな気もする。
とはいえ、私の場合年に関係なく、実はやりたいことがいろいろあるのだ。
そう考えると、また周りや自分自身の期待や予想を裏切ってしまう、というリスクが全くないわけでもない。
しかしそこは、私の生来の性格や志向によるものなので、どうか勘弁願いたい。
おそらく、チャレンジ的なことはこれからもめげることなく続けていくのではないか、と思っている。
そう考えると、期待や信頼というのは、こちら側に何かその元になるものがあるからこそ起こり得る現象なのだ。
そういった元になるものが一切なくなったら、期待も信頼も生まれないわけだから、人間常に何かしらの期待はかけてもらえるような生き方をすべきだし、一度そういうものを他者に抱かせたならば、決してそれを裏切らないようにしなければならないのである。
つづく