「美学」を持ってことに当たるようにしたい?!?―「裏切り」という行為を通して己を振り返る―Ⅵ(おしまい)
さて、
「これまで、期待や信頼は結構裏切ってきたかもなあ・・・」
と反省しきりの私ではあるが、やはり冒頭で触れた、信頼をもう少し突き詰めたところの「信義」に関してはどうだろうか?
「信義」に関しては、これまで裏切ったことはない、と言いたいところではある。
そもそもこのテーマで書き始めたとき、「信義」について裏切ったことがあるかないか、なんて書けるわけないじゃないか、とすぐに気がついた。
もちろん、なければ「無い!」と言い切れば済む話であるが、何かしら身に覚えがあるとすればどうなるのか・・・まさか「実は・・・」といって、人様にご披露できるはずもない。
特にカミさんに聞かれてはいけない話があるとすれば(あくまでも「あるとすれば」だが・・)書けるわけがない。
だんだんなんだかドツボにハマってきそうな方向に行きそうなので、この件に関してはこのあたりでやめておこう。(自分で言い出しておきながら、何を言っているんだ俺は!)
ただ、特にビジネスや友人関係における「信義」ということに関しては、みっともないことやせこいことだけはしないようにしよう、と普段から自分に言い聞かせている。
そこにおいては、いわゆる自分なりの「美学」というか価値観というものを持って当たるようにしようと考えているのである。
裏切っておきながら
「いや、あれはそうじゃないんだ。実はちゃんとわけがあったんだ。」
などという言い訳はしたくない。
「信義」を裏切るような場面に遭遇することがあるとすれば、それが本人に分からないわけがない。
分かっていながら人を裏切るような人間にはなりたくない。
まあ、かなりテキトーな私ではあるが、幸いにして曲がったことが大嫌いなカミさんと、鬼のように真面目なナンバー2女性税理士というパートナーに恵まれて、大きく道を踏み外すことはなくて済みそうである。
こんな恵まれた環境の中で「信義」を裏切る、という己の美学に反することだけはしないで済む人生にしていきたいと思いながら生きている。
おしまい