地方再生を考えるⅤ
それは何故か。
予算先にありきだからである。
日本で「地方の活性化」といった方針が決められた場合、まず中央からその方針に沿った政策が発表される。
それに準じて予算が決定される。
そうなると、企画云々というよりは、ものごとが「予算消化」というベクトルで動き出す。
そこで出てくる理屈が
「よそより早く予算をぶんどってしまえ!」
ということになるのである。
「早くしないと予算が無くなってしまう。」
もっと分かりやすく言えば
「隣町が取る前になんでもいいから予算請求してしまえ。負けんじゃねえぞ!」
みたいなことになってしまうのだ。
もともとの企画も何もあったものではない。
予算獲得には一応の決まりや申請の形式などがある。
そこに無理やりはめ込もうとするから、ほとんど実行性のない計画があっちにもこっちにも出現するはめになるのである。
この予算は、引用文にもあるように、多くの場合「補助金」という形で分配される。
この「補助金」という響きに、特に地方はめっぽう弱いのだ。
なにはなくともとにかく取りにかかる。
この繰り返しで、逆に随分脆弱化してしまった地方というのも多いのではないか。
それはあくまでも補助金は一過性のものでしかないからである。