取得した情報に「考える」というひと手間を加える―取った情報は活かさなければ意味がない、情報格差時代の生き方とは・・―Ⅲ
ネットの環境が整備された今の時代、それにつながるPCやスマホといったツールを駆使することができれば、必要な情報は、ほぼなんの問題もなく取れるようになりました。
そんな時代の「情報強者」は、そういったツールをストレスなく操ることのできる若い世代が中心になる、と言っていいでしょう。
ただ、ここで気をつけなければならないのは、「情報が取れる」ということと「情報を活かす」ということとは話が別だということです。
あまりにも簡単に情報が取れるので、下手をすればその膨大な情報に振り回される、といったことになりかねません。
我々が、情報に振り回されないためには、「情報を取る」という入り口のところだけでなく、「情報をどう使うか」という出口の部分についても考えておく必要があります。
情報を検索し、必要な情報にたどり着いた時点で、一連の作業は完結したような気分になりますが、それではまだ完全とは言えません。
つまり、常に自らが「情報をどう活かすのか」という主体的な姿勢が大事なのです。
情報はとるだけでなく、それを「活かす」ことができた時点で、完全にその役目を果たしたことになります。
それでは「情報を活かす」というのはどういうことを指すのでしょうか。
どういう手間を加えれば、情報を活かしたことになるのでしょうか。
それはたぶん「考える」ということから始まると思います。
取った情報に関して「考える」という手間を加えることで、その情報は「活きた」ものになるのではないでしょうか。
とはいっても、ご飯の美味しい店を捜すとか、目的地までのルートを検索するとかは、単にその情報を取っただけで済む話です。
手に入った情報に関して、あれこれと考察を加える必要はありません。
テレビによる情報伝達。
つづく