考えるために書き、書くために考える―取った情報は活かさなければ意味がない、情報格差時代の生き方とは・・―Ⅳ(おしまい)
ちょっとした情報であれば、簡単に検索できるようになった今の時代。
そこでは「取れば済む」といった情報と、それだけでは済まない「考える」という手間を加えるべき情報もあるのではないか、そうやって初めて情報は活きるのではないか、というのが私の考察するところです。
「調べれば済む」といった単に「検索」した情報ではなく、誰かのオピニオンとか考え方とか学説とかを調べた場合には、情報に対するスタンスが少し変わってきます。
情報をそのまま単にコピペするのではなく、それを一つの材料として自らの見解を常に持つように心掛ける必要があります。
これが「考える」ということです。
情報は「考える」というひと手間を加えることで、初めて「活きた」ものになるのです。
論文などをコピペで済ましてしまう学生が多い、という社会現象が問題になっていますが、経営者となればなおさらです。
ご自分の事業に関することになりますから、より真剣にならざるを得ないのです。
経営者はインプットした情報に対して、自分の意見を持たなければ意味がありません。
情報が溢れる時代になったからこそ、それをどう活かしていくかは、
「常に主体的に考えるという習慣を怠らない。」
という姿勢が大事なのです。
私はその「考える」ための一つの訓練として、「書くこと」をお勧めします。
考えるために書き、書くために考える。
そしてせっかく考え、書いたものはアウトプットする。
これが情報を活かしていくことの好循環を生み、事業を遂行していく上で一石二鳥三鳥の効果を生むのです。
私が書いているこのブログのように、今は、個人がこのように情報発信できる時代です。
「主体的に考える。」という習慣があれば、書くための材料、即ち「情報」を得るのにはそれほど苦労しません。
情報はインプットするだけではもったいない話です。
様々な情報に「考える」という手を加えて、どんどんアウトプットしてみて下さい。
コラムも随分書きました。
おしまい