知り合いと友人と親友と―俺の人生に「友情」はあったのか?―Ⅴ(おしまい)
村上龍氏も、
「親友というのは本当にわからないが、きっと友人より少ないのだろう。」
と書いているように、「友人」や「親友」というのは、こちら側からそう簡単に特定はできない。
或る意味、カッと燃え上がって、あとさき考えずに突っ走る「恋愛」よりも、ちょっと複雑で小難しいのかも知れないのである。
ただ、普段からそんなに頻繁に付き合っているわけではなくても、
「あいつに何かあったら、きっと一肌脱ぐだろうな。」
と思う相手は何人かいる。
そいつが私に助けを求めてくるかどうかはわからない。
しかしどうあれ、何かしら手助けすることだけは間違いない、と自分の中で思えるのだ。
「友情」というのは、私の中で上記くらいの距離感でちょうどいい、と思うようになった。
現実的には「信頼」という言葉が日常的である。
普段のお付き合いにおいて、相手との関係性を判断するときに、「友情を感じるか」というよりも、「信頼できるか」という切り口の方が使い勝手がいい。
村上龍氏も、先に引用した「親友と友人」というタイトルのコラムの中で、以下のように結んでおられた。
―ひょっとしたら、友人というのは、関係性についてあまり複雑に、シリアスに考える必要がない人なのかも知れない。
こうやって書いてきても、「親友」はよくわからない。
だが、圧倒的な信頼を寄せる友人を、とても少ないが、わたしも持っている。
ただ、その人物のことを「親友」だと意識することはない。
親友はもちろんのこと、友人も、たくさん欲しいなどとは思わないし、誰かと友人になりたいと思うこともない。
親友も友人も、求めて得られるものではない。
そもそも、求めるものでもない。―
村上氏もここで「信頼」という言葉を使っている。
しかし、そこではやはり人間関係における「親友」という概念とは明らかに区別しているのだ。
ここまで書いてきてふと思った。
「そうか!あのとき俺は、Sに対して「信頼」ということが全くできなくなってしまったんだ。」と。
「信頼」が崩壊してしまった人間関係の修復は極端に困難なのである。
同級生たちからのLINEやメールを見るたびに
「俺の人生には「友情」が欠落しているのか?」
と、思うのはもうやめよう。
これくらいの立ち位置でちょうどいいや、と肩の力を抜いて生きていくことにしようと思う。
おしまい