知り合いと友人と親友と―俺の人生に「友情」はあったのか?―Ⅳ
生涯の親友と思っていたSとの決裂を経て、私が若い頃、後生大事に思っていた「友情」などというものは、幻想に過ぎなかったのかも知れない、と考えるようになった。
昔の青春ドラマなど思い出すと(今はほとんどテレビドラマなど見ないので、近年の事情はわかりません。)甘酸っぱい恋愛模様と同時に「男同士の熱い友情」という奴も、それこそ必ず熱く描かれていたものだ。
若い頃は、「走れメロス」に登場するような「無二の親友」という存在は、人生になくてはならないものだ、と信じて疑わなかった。
特に男の場合、それを持てない奴は、一種の欠陥人間くらい思っていた節がある。
今でもふとそんな風に思うことがある。
もし
「あなたの親友は誰ですか?」
と質問されたら、
「俺は一人も挙げることができないなあ・・・これって、人間として欠陥品なんじゃないか。」
と。
深刻というほどではないが、一抹の寂しさを感じるのだ。
ただ、今思うのは、そんな風に無理やり考える必要はないんじゃないかということである。
「友情」とか「親友」というのは、作為的に求めるものではない。
結果としてそうなっていた、というのであれば話は別だが「なくてはならないもの」と考えるのはどだい無理な話なのだ。
そんなことを考えていたら、作家の村上龍氏が雑誌「GOETHE(ゲーテ)」の最新号(2019年11月号)で、面白いコラムを書いていた。
「親友と友人」というタイトルである。
その書き出しは次のようなものだ。
―わたしには、誰か親友がいるだろうか。
これまで、そういったことをほとんど考えたことはない。
だいいち友人についても「彼は友人だ」とか考えない。
だが、知り合いと友人は違う。
仕事における重要性とか、会う頻度などにはあまり関係ない。
知り合いは大勢いるが、友人は少ない。
親友というのは本当にわからないが、きっと友人より少ないのだろう。―
村上氏も「友人」或いは「親友」については、上記のように或る意味慎重に発言している。
単なる知り合いのことを「友人」や「親友」と、こちら側から軽々に特定するのは難しいということなのだろう。
友情も親友もこんな風にクリアじゃないなあ・・・
つづく