驚かされる「時代錯誤感」―日本はまだまだ遅れているのか・・女性の地位について考える―
Ⅲ
さて、ツイートに対する様々な形の批判に対しても、境野さんは反論しておられたが、そのことよりも、私はこの議論の本質である「女性の地位」について考えてみたい。
おそらく、彼女がそうであるように、私もその本質論の方がはるかに気になるからである。
まず、境野さんは主賓の挨拶が
「新郎側の主賓の挨拶で、新婦だけが新郎のサポート役を求められる内容だったこと。」
について、次のように書いておられる。
―私たちは、サポートし合いながら、生きている。
披露宴では、それをしっかりとアピールしていた。
しかしながら、その場にいる全員が聞く主賓挨拶では、男女の型にはめようとしてくる発言が目立った。
この晴れの日に、私たち夫婦の“家族の形”が、受け入れてもらえなかったという事実は、時間が経った今でも消えることはない。
また、結婚した女性は、その人が働いてようとも、“夫のサポート役”と言われてしまうことに、この日本で女性の地位が依然として低いと言われる社会課題の片鱗が見られた。―
なるほど、こう書かれるとその挨拶をされた主賓の方は「これは俺のことか!」とはっきりわかる。
取りようによってはかなりリスキーな書き方だなあ、と思わざるを得ない。
しかし、その点については、境野さんは「それは覚悟の上」と書いておられるので、肝心なのはやはりスピーチの内容である。
これに関しては、私もその「時代錯誤感」に、いささか驚かざるを得ない。
紋切り型のよくあるスピーチとはいえ、いまどき、こんなスピーチをするのだろうか。
境野さんは、自分たちのライフスタイルに対する配慮がなかったこと、そのことによる「時代錯誤感」の甚だしさを嘆いておられるが、私はそれプラス
「なんとつまらないスピーチだことよ。」
という感を持たざるを得ない。
つづく