ドラマ「集団左遷」に思う―テーマ設定に無理がないか?―Ⅰ

TBSの日曜9時のドラマ「集団左遷」の初回を観た。

福山雅治を主演に迎えて、ドラマのTBSとしては、だいぶ前から番宣に余念がなく、高視聴率の確保に力を入れていたようだ。

 

 

「集団左遷」といえば、柴田恭兵主演、1994年公開の東映映画を思い出す。

私はあいにく封切で鑑賞することはできなかったのだが、3,4年後テレビで放映された際に初めて観て結構印象に残った映画だった。

その年、セミナーの講師を引き受けたとき、講義の中で映画の内容を引き合いにしていろいろしゃべったことを覚えている。

 

確か、バブル崩壊後、集団で左遷(結果的にはリストラ)されそうになった住宅販売会社の社員たちが、会社の方針に抵抗して頑張る、といったストーリーだったと記憶している。

内容的には、弱者がハンディを背負った状況から頑張って逆転の構図までもって行くという、感動的なものだったが、私がセミナーで引き合いに出したのはそれとは別の場面だった。

 

この映画では、先般亡くなった津川雅彦がヒール役、つまり嫌な上司を演じていた。

当時の彼のキャラクターにはぴったりで、あくの強い強引な性格の上司役にみごとにはまっていた。

営業畑で数々の修羅場をくぐってきました的なキャラクターで、金や女にはだらしないところもあるし、仕事では少々汚いこともやるが結果だけは出す、みたいな役どころだった。

 

その彼が、柴田恭兵演じる部下を、自分の愛人のマンションに呼びつけて

「きれいごと言ってても仕方ないんだよ。どんな手を使ってでも結果を出すんだよ。」

みたいな言葉で叱咤(激励ではなかった・・)する場面があった。

時代背景もあって、会社のためなら個人の都合など少々犠牲になっても全く構わない、といった価値観が当たり前のような描き方だった。

 

 

つづく