ドラマ「集団左遷」に思う―テーマ設定に無理がないか?―Ⅱ

私は、セミナーの際にこの映画を引き合いに出して

「ちょっと前までは、あんなモーレツサラリーマン的な管理職が当たり前のように描かれていたようですが、今では『あり得ない!』といった世界ですね。面白い映画でしたが、その辺は、もうちょっと古い価値観ですよね。」

というような内容の話を、受講生を前にしゃべったことを覚えている。

 

当時でも、その高度経済成長時代的なビジネスマン意識の描き方には、

「今どき、これやったらダメでしょう。これが通じたのは一昔前の話でしょう。」

と、映画の画面に突っ込みを入れながら観ていたのだ。

映画が作られたのは、バブル崩壊後、2,3年たってからであるが、私が見たのはそれからやはり3,4年後になる。

この間に世の中の価値観は大きく変化していたのである。

 

当時まだ「ハラスメント」という言葉はなかった。

とはいえ、あきらかに「パワハラ」の、津川雅彦の演技を観ていて「こんなのは今どき通じないだろう。」と思ったことを思い出す。

 

ただ、これから先は少し微妙な話になるのだが、当時、私はこの強面(こわもて)上司の「パワハラ」ぶりにだけ大きな違和感を覚えたのではない。

私が思ったのは

「こんな営業手法を許している企業そのものが、これからは世の中に受け入れられないし、通用しないだろう。」

という感想だったのだ。

 

つまり、社内的な「パワハラ」という問題よりも、部下を奴隷のようにこき使う強引な営業手法を取り入れている組織そのものが、これからは対外的に、つまり社会的に容認されなくなるだろう、という私なりの見解だったのである。

人間性を犠牲にするような働き方は、バブルのころまででおしまいにして、新しい労働への価値観が問われていた時代だったような気がする。

 みんなで意見を出し合う。フリーな雰囲気が大事。

 

つづく