過去の遺物から脱却し本当の未来志向を持つべきとき―「歴史問題」に拘らない国々との協定― Ⅳ(おしまい)
山崎氏が最後に声を大にして述べておられたのは、今後のグローバルな両国の関係についてである。
―声を大にして主張したいのは、日本がこの政策(インドとの融和政策)を強力に継続すること、その際、その意味について遠大な想像の視野を保つことである。
それはインド太平洋を一筋の巨大な連帯の道、日米に起点を持ち、欧州を終点とする同盟の通路を描くことにほかならない。
この道の上には東南アジア諸国や豪州もあるが、これらの国はどの一つとして、第2次大戦の日本をもはや敵として責めていない。
北東アジアの外交はとかく「歴史問題」の翳りを受け、「未来志向」を求めながらどこか居心地悪い思いを拭えないでいる。
新しい連帯の道にはこの躓きの石がなく、純粋な未来志向を貫くことが期待できるのである。―
「未来志向」というのは昔からあったはずだ。
それが「歴史問題」が存するといって譲らない2つの国によって、どれほど歪められ阻害されてきたか・・・・
山崎氏が書いておられるように、インドをはじめそこに全くこだわりを持たない東南アジア諸国いうものが存在する。
欧州及びこれらの国々との関係を強化することによって、今後の日本のポジションが座りのいいものになるのであれば、この関係の強化を追求しない手はないだろう。
私はこの論壇を読んでいて、日本の将来に希望の一筋が見えたような気がしたのである。
きしくもこの論壇のすぐ下に、マレーシアのマハティール首相(93)の、国連での演説が紹介された記事があった。
その演説の中でマハティール氏は
―「70年前に勝利した5か国が要求を押しつける権利はもうない」とも語り、米英仏露中が拒否権を持つ安全保障理事会の改革も訴えた。―
そうなのである。
日本が何かとやり玉にあがる「歴史問題」も、おかしな決議にしかならない「安全保障理事会」も、過去の遺物なのだ。
建設的な「未来志向」で行くのであれば、こういった「歴史問題」こそ、今改革すべきときであろう。
おしまい