自らの見解を常に持つように心掛ける―情報格差時代に基軸とすべきものの考え方―Ⅲ(おしまい)
これまで書いてきましたように、極めて簡単に様々な情報が取れる時代になりました。
ただ、ここで気をつけなければならないのは、「情報が取れる」ということと「情報を活かす」ということとは話が別だということです。
あまりにも簡単に情報が取れるので、下手をすればその膨大な「情報に振り回される」といったことになりかねません。
情報に振り回されないためには、常に「情報をどう活かすか」という主体的な姿勢が大事なのではないでしょうか。
だとすれば、「情報を活かす」というのはどういうことを指すのでしょうか。
それはたぶん「考える」ということだと思います。
ご飯の美味しい店を捜すとか、目的地までのルートを検索するとかは、単にその情報を取っただけで済む話です。
手に入った情報に関して、あれこれと考察を加える必要はありません。
しかしながら、そういった「検索」した情報ではなく、オピニオンとか考え方とか学説とか調べた場合には、情報に対するスタンスが少し変わってきます。
それを単にコピペするのではなく、一つの材料として自らの見解を常に持つように心掛ける必要があるのではないでしょうか。
情報が溢れる時代になったからこそ、それをどう活かしていくかは、「常に主体的に考えるという習慣を怠らない。」という姿勢が大事だと思います。
その一つの訓練として、私は「書くこと」をお勧めします。
私が書いているこのブログのように、今は、個人がこのように情報発信できる時代です。
「主体的に考える。」という習慣があれば、書くための材料、即ち「情報」を得るのにはそれほど苦労しません。
情報はインプットするだけではもったいない話です。
様々な情報に「考える」という手を加えて、どんどんアウトプットしてみて下さい。
おしまい