町内唯一の生き残りとして思うこと
―町の変遷と私が取り組んできたこと―Ⅱ

また、この頃は子供の数も多く、町内会単位で子供たちもよく遊んでいました。

ソフトボールやかくれんぼ、鬼ごっこなど近所の友達を誘いあって、近くにあった町役場の庭などで遊んだものです。

 

大人たちが町内会の集まり等で結束していたように、子供たちにも「子ども会」という集まりがありました。

はっきりとは覚えていませんが、ある程度定期的に集まっていろんなことを話し合っていたと記憶しています。

 

その会では、夏休み前とか、冬休み前とかになると、子供会会長さんの家に集まるのです。

そこでは、夏休みの規則正しい過ごし方とか、いつも遊んでいる町役場のお庭の清掃を手伝いましょう、とか、子供たちなりの目標をいろいろ決めていました。

 

子供の数がとにかく多かったので、夏休みはワイワイと誰かの家に集まって宿題である「夏休みの友」をみんなで勉強したりしていたのです。

その際には、高学年で年長者の子供が低学年の子供の面倒を見たりしました。

子供の世界は子供の世界で、それなりに賑わいがあったのです。

 

さてここまで、昭和の時代の商店街における活発だったコミュニティや子供たちの世界を紹介してきたのには訳があります

それは商業が盛んだったということもさることながら、今と違ってそれぞれの家庭には何人もの子供たちがいて、その中の誰かが商売を継いでいくということに疑う余地もなかったということです。

 

 

つづく