町内唯一の生き残りとして思うこと
―町の変遷と私が取り組んできたこと―Ⅲ

かつて商店街は栄えており、そこには複数の後継者候補がいました。

その誰かが商売を受け継いで行くとみんなが信じて疑わなかった・・・にもかかわらず、商売は継承されることなく、町はさびれにさびれていったのです。

 

今のように、少子化が深刻で子供の数が少ない状況であればまだ理解できます。

どんな職業を選ぶのかは、大抵の場合、おそらくその子の選択に任されることでしょう。

 

それにしても、あの頃沢山いた子供たちはどこかで生きている訳ですから、多分どこかで勤め人になるか、親とは違う仕事に就くかしているはずです。

あれほど有望だった商売という形態を捨てて、みんな他へ行ってしまったのは何故なのでしょうか。

 

「そんなことは町の様子を見ていれば当り前じゃないか! 時代が流れ、いろんな理由があって、皆が商売に見切りをつけたのさ。仕方のないことだ。」

という声が聞こえてきそうです。

町中の商売の火が消えたようになったのは、何も私が育った町ばかりではありません。

日本中の地方の町々がシャッター街と変容していったのです。

 

その理由についても、これまで散々分析研究され、その中身は私も勉強してきました。

今回は逆に、後継者がいたにもかかわらず、ほぼ全滅に近い結果になったあの商店街の中で、唯一残ったの私のビジネスが、何とか今も続いているのには何かそれなりの訳があるのではないかと思い、それを考察してみたいのです。

 

つづく