町内唯一の生き残りとして思うこと  ―町の変遷と私が取り組んできたこと―Ⅰ

 

私と家内は小学生からの幼馴染みです。

転校生だった私は、たまたま家も近所で、同じ町内会で3年余りを過ごしました。

 

家内とは、その小学校でクラスも4年生から6年生までの3年間一緒だったので、その頃から数えれば、もうかなり古い付き合いになります。

とはいえその後、県内の少し離れた私立中学へと町を出た私は、もう同じ学校の同級生ではありませんでしたが・・・・

 

さて、その家内と幼い頃を過ごした町内会というのは、当時町で一番賑やかな商店街でした。

数十店舗の様々な商店が軒を連ね、どこの店もひっきりなしに人が行きかっていました。

 

あの頃は町内会の結束も強く、確か月に一度くらいの頻度で旦那衆の集まりなどもあったようです。

いろいろ話し合った後は、必ず飲み会に発展したようで、車座に座った旦那衆が、顔を真っ赤にしながら賑やかにお酒を飲む様子を、子供心に覚えています。

 

その他にも、お祭りや売り出しなどのイベント事も盛んで、しょっちゅう何かしらの催し物が開催されていました。

また、一緒に旅行に行ったり、お花見、海水浴、運動会なども誘い合って参加していたことを覚えています。

 

当時は、私がいた町に限らず、日本全国津々浦々、ほぼどんな商売も繁盛していたのではないでしょうか。

つまり、商売人が大いに儲かった時代だったのです。

昭和30年代から50年代にかけてのことです。

 

 

つづく