「働き方」について考えるⅡ
この一文を読んで、私の身近なある人たちのことに思いが及ぶ。
私の友人や家内のお友達、知り合いの社長さんなどには、この「安定志向」の中の「安定志向」・・「公務員志向」の人が何人もいた。
別に「公務員志向」がすべて悪いとは言わないが、その理由が決まって
「うちの子は営業や人付き合いが苦手だし、公務員なら倒産もなければ、よほどの失態がない限りリストラされる心配もない。
退職後の保証も手厚いから、(公務員に)なってもらうと安心だ。」
的なものだった。
間違っても
「国家或いは地元のために身を粉にして働いてもらいたい。
天下国家に必要とされる人間になるために公務員を目指してもらいたい。」
などと言う人は一人もいなかった。
まあこの表現は少し大げさとしても、「(ある種の)使命感のために・・」といった話は聞いたことがない。
その価値観の中には「安定=幸せ」という図式がガッチリと組み込まれているのであろう。
「幸せ」の構成要素に「安定」が全くないとは思わないが、一方で、安定=無変化、安定=無成長、安定=退屈といった価値観もある。
私などはどちらかというと後者の価値観を持つ方である。
「安定」を積極的に嫌っているわけではないが、もし「安定」が手に入ったとしても「安定」の中から常に次のステップを構想するだろう。
「安定」のまま終わることは考えられない。
つづく