文豪を気取ってみたい、憧れのスタイルー万年筆との共存生活(その3)― (前編)
変な奴の変な癖
文章を書くのに久しぶりに「万年筆」という筆記具を使い始めて3年余りの年月が流れた。この間、万年筆との付き合いは、「万年筆との共存生活」(その1)(その2)に書いてきたように、単なる筆記用具としてのポジションだけでなく、いろいろな意味で深まってきている。とはいえ、私の場合、あくまでも道具として使っているだけで、コレクターとしての収集癖などあるわけではない。
まあそれでも手持ちの数は10本を超え、それを機会平等ということでローテーションしながら使っている。他人(ひと)から見れば変な奴の変な癖といったところだろうか。とはいえ、誰に迷惑をかけるでもない全くパーソナルで密やかな日常の習慣みたいなものなのでこれからも続けていくことになりそうだ。
そんな万年筆を使い始めてしばらくしたとき、いろんなメーカーのいろんなタイプのものを試してみたくなった。自分の知っている名だたるメーカーのものは、国産、外国産に限らず、すべてそのデザインや書き味などを、実際自分の目で確かめ使ってみたくなったのである。それぞれに、なにかしら特徴や味わいみたいなものがあれば興味深いだろうな、と思ったのだ。
そうして、それまで持っていなかったメーカーのものについては、一本ずつ購入していった。その他、プレゼントされたものも含んで、各メーカーのベーシックなモデルのものはほぼ手中にすることができたのである。中には、かなり古くから持っていたものもあれば、上記のように、近年新しく買い揃えたものもある。
ブランドとしては、国産がパイロット、プラチナ、セーラーの3社。ドイツがモンブラン、ペリカンの2社、イギリスのパーカー(もともとはアメリカで創業)、フランスのウォーターマン、アメリカのシェーファー(これも現在はグローバル化していて複雑らしい)といったところである。
トレイに並べて、毎日左端から使っていきます。使ったら右端に置いて、次に回って来るのは十日後。変ですかね?
その昔№146を手にした経緯
そんな手持ちの中で一番古くから持っていたのは、モンブランのマイスターシュテュック№146だった。こいつはモンブランのベーシックなモデルの中でも、ずっとデザインが変わらない基本中の基本みたいな一本である。
もう大昔の話になるが、確か大学に受かったときか就職が決まったときに、叔父か親にプレゼントされたものだったはずだ。しかし、はっきりとしたことはどうも思い出せない。結構高価な品をもらっておきながら思い出せない、というのも失礼な話ではあるが。
ただこのとき、自分が少し迷ったことだけは覚えている。というのは、万年筆をあげるから好きなのを選べと言われたからだ。その頃もいかにも万年筆らしいベーシックな一本が欲しかった私は、このモンブランの146にするか149がいいか迷ったのである。どっちを選んでもいいよ、ということだった。
そのとき、作家が持つような一番太い149がいいな、とは思ったのだが、まだ若かったので携帯に便利な146にしておくか、と考え直して149よりはやや小ぶりの146にしたのだった。そんな風に、あのときちょっと迷ったっけな、という事実だけは、どういうわけか覚えている。
上が146で下が149。並べてみると大きさ、太さの違いが判ります。
万年筆の中の万年筆、№149
さて、近年こうして万年筆を使うようになって、あのとき選ばなかった149がどうしても気になってきた。私にとって、このモンブランのマイスターシュテュック№149は万年筆の中の万年筆、万年筆の王道を行く一本という位置付けだったからだ。だから各メーカーのそれぞれ代表的な製品が手元にそろってからも、149はいつか手に入れたいな、と思っていたのだ。
とはいえ、昨今、いろいろな物品の物価上昇という奴は文房具にも及んでいるようで、万年筆もご多分に漏れずかなり値段が上がっていた。
中でもこの149はすでに10万円を超えている。
国産品を含め、万年筆メーカーを代表するベーシックな製品はだいたい2万円台から3万円台である。外国メーカーで少し高いものは5万円台から6万円くらいにはなるが、10万円を超えるものは、何かの記念に作られたものとか限定何本限りみたいな世界になってくる。というわけで、件の149は、欲しいには欲しいが、まあそのうち、との思いを抱きつつ既存の10本余りを使いながら執筆を続けていた。
伝説の名編集長島地勝彦氏
とそんなことを繰り返していたある日、上京した際に、西麻布にある行きつけのバー「サロン・ド・シマジ」に立ち寄った。「サロン・ド・シマジ」については、このブログでも何回か触れてきた。改めて簡単に紹介すると、東京港区は西麻布の交差点近くにある本格バーで、オーナーは島地勝彦さんである。
島地さんは、かつて集英社の発行する「週刊プレイボーイ」の販売部数を、実に100万部まで育て上げた伝説の名編集長なのだ。2008年、集英社退社後、いろいろな縁があって新宿伊勢丹デパートの一室にシガーバー「サロン・ド・シマジ」を立ち上げ、これまた坪当たり伝説級の売上実績を残されたのである。その後、現在の西麻布に場所を移して新たな本格バーを5年ほど前にオープンされた。
私は伊勢丹時代からの島地さんのファンで、西麻布に移られてからも上京するたび「サロン・ド・シマジ」に通っていた。すっかり顔も覚えていただいたので、あれこれいろんな話なども交わしていたのである。
伊勢丹時代の「サロン・ド・シマジ」
今はもうありません。
つづく

