ひとり、コーヒーを飲みながら・・―こうして人生を振り返ってみるのも悪くないか―

毎週末、気分転換に訪れるカフェ

週末、私の住む田舎町から車で40分ほどのところにある小都市のカフェでモーニングサービスを取りながら、本を読んだり執筆したりするのが軽い習慣になりつつある。尤も、そのためだけに出かけるわけではない。その小都市にある行きつけのクリーニング屋さんに、直前の一週間、仕事で着たワイシャツを持って行くことにしているからである。

先週頼んだ分を受け取り、今週着た分を出す。この繰り返しである。なんか贅沢に聞こえるかも知れないが、自分でアイロンをかけるという家事にちょっとだけチャレンジしてみたものの、結構大変ということがわかったので早々に撤退してしまった。以前はカミさんがかけてくれていたが、今は一人暮らしなのでそうもいかなくなったのである。

週末、片道40分のドライブは、気分転換にはちょうどいいや、ということにも気が付いた。それに私の住む田舎町には、今では本屋がなくなってしまったので、その小都市にあるちょっと大きめの本屋に立ち寄るという目的もある。

お店の名前は「マイルストーン」

ジャズナンバーにも同じような名前があるみたいで

 

量もタイミングもピッタリのモーニングサービス

クリーニング屋さんでのやり取りを済ませ本屋を覗いたあと、カフェに着くのはお昼ちょっと前くらいの時間になる。この店は、午後のちょっと遅い時間までモーニングサービスをやっているので、私はコーヒーとそのモーニングサービスを注文する。それらの飲み物や食べ物が運ばれてきて、食べ始めるころちょうどお昼くらいの時間になるのだ。

セットのメニューは厚切りのトーストとプレーンオムレツにポテトサラダ、それにハムが2枚付いている。休日の昼飯にはちょうどいい量なのである。

一緒についてきたコーヒーを飲みながら、その日持参した本を取り出して読み始める。家を出るとき、クリーニングに出すワイシャツのほか、トートバッグにその日カフェで読みたい本と、ワープロで文章を書くためのパソコンを放り込む。

この読書にはそんなに長い時間を費やさない。適当なところで切り上げると、今度は持参したパソコンを取り出して、後でアップする予定のブログやコラムを書き始める。カフェでは大まかな下書きの文章を書きあげるのだ。 

このモーニングサービスが、私の昼飯にはちょうど良いようで。

 

優雅なり至福の時間

私がそんなことをしている間も、このカフェにはずっとジャズが流れている。年配のマスターは、おそらく筋金入りのジャズマニアなんだろう。いや、私が知らないだけで、ひょっとしたらその世界では結構有名な人物なのかも知れない。

店に流れる曲はいずれも本格的なジャズナンバーらしい。らしい、と書いたのは、聴いていても私にはそれがどんなものなのかわからないからだ。ただ、私が知っている程度のポピュラーな選曲ではないことだけは確かである。

まあ、こういう曲は夜の方がしっくりくるのだろうが、それが休日の昼間であっても、私にとってはなんの邪魔にもならない。店全体を包む音響の中に浸りながら、本を読んだりものを書いたりする至福の時間と言えよう。

ところでこの店は、全体的に高齢のお客さんが多い。まあ私もその一人なのだが、そんな私よりもやや先輩かな、と思しき方たちがよく出入りされている。マスターの年齢からして、昔からのファンが大勢ついているのだろう。私にとってこのカフェ、最近になって発見した気持ちのいい空間であり、とても優雅な時間を提供してくれる場所なのである。

なんか雰囲気のあるエントランス

 

筋金入りのボゥーッと人間

さて、そんな快適な環境を確保しながら私はいったいどんなことを考えているのだろうか。当たり前かも知れないが、別に深刻なことなど何も考えない。ネガティブなことが頭に浮かんでくることもない。

まあ言ってみればボゥーッとした時間なのである。こんなことを書くと「お前はいつもボゥーッとしているじゃないか。」という声が聞こえてきそうだが、いやそれとは違うと言いたい。

普段の「ボゥーッと」とはまるでレベルの違うボゥーッとなのである。何と言ったらいいのか、ボゥーッとすること自体を全面的に受け入れた、筋金入りのボゥーッとなのだ。

そう考えると私は、ボゥーッとの達人なのかも知れないな、とも思う。こんな時間を持てるようになったのは幸せというべきか。

 

ひとり、人生を振り返る

そんな中、このボゥーッとした世界に入り込んでくるものがあるとすれば、それは「これまでの人生を振り返る」という思考になるだろうか。日々、書くことを習慣化している私にしてみれば、人生を振り返るというのは、他人(ひと)に比べて割と実践している方だろう。このカフェのそんな環境の中で頭に浮かぶのはまさにそのことである。

昔から喫茶店というのはよく使っていたが、こんな使い方をしたことはなかったなあ、と思う。というのは、昔は友人、恋人、家族に限らず、必ず誰かと一緒だったからだ。上京した際、カミさんとランチの後お茶をしに行くことはたまにある。家族の他の誰かが加わることもある。

しかし近年、カフェを使う際に圧倒的に多いのは、こんな一人の時間なのだ。自分を振り返る極めて内省的な時間とでも言おうか、長い間軽薄に生きてきた私がようやくたどり着いた多少なりともマシな時間、という気がする。

 

後継者はいるのかな?

上京したときはスタバを日常的に利用している。そこで、どんな時間を過ごしているのか、このブログでも何回か書いた。今回のカフェと同じ、本を読んだり何か書いたり、人間ウォッチングをしたりといろいろである。

また東京では、ときどきブルガリカフェやダンヒルカフェといったファッションブランドが経営する贅沢な店舗に出かけることもある。いずれも銀座の一等地にあり、それらのブランドが販売する他のアパレル商品などと一緒に、カフェも運営しているのである。料金もまあまあ高額だが、占有できる空間やサービスなどかなりハイレベルなので、たまに利用する分には気持ちがいいのだ。

ただ東京には、地方にあるこのカフェのような、気軽でかつチェーン店にはない独自の雰囲気を持つ店はもう少なくなった。都会の馬鹿高い土地代の上という立地条件では、こんな業態は成り立たないのだろう。

この店のマスターもかなりのご年配に見えるが、彼が退いた後は誰がこの店を仕切るのだろうか。まあ、余計なお世話かも知れないけれど、少々心配なところではある。

自分にはこんな店があと何軒かあってもいいんだけどな、と思いつつ、淹れたてのうまいコーヒーをすすっているのだ。

サイフォンで一杯ずつ丁寧に淹れるコーヒーは格別の味でして