清純派という立ち位置―演じているに決まっているじゃん!―

え!清純派だったの?!

少し前の話になるが、永野芽郁という女優が不倫をしてしまったとかで、マスコミを始め世間からも総叩きにあっていた。相手の男優を含め本人たちは否定しているみたいなので真偽のほどはわからない。

ただ世間としては、永野芽郁に関して清純派だと思っていたのにとんでもない・・・」ということで非難ごうごうということらしい。

私はこれを聞いて「え!そうなの?!」と、いささか驚いた。というのは、この永野芽郁という女優についてはよく知らないが『「清純派だったのに・・」という非難の仕方はないだろう。』と思ったからだ。

何故ならば、私が

『そもそも、世間が「清純派」というジャンルまたはカテゴリー?を設けていること自体おかしくねえすか?』

と、考えているからにほかならない。

 

実在するのかなあ?

女優というのは、言うまでもなく演じるのが仕事だ。どんな汚れ役だろうがしたたかな女だろうが、その役を与えられたら演じ切るのが仕事だろう。たまたま、見た目が初心(うぶ)そうで、お嬢さん風だから「清純派を演じてくれ」と言われて演じているにすぎない、と私は思っている。

つまり、世間がボンヤリとイメージするところの「清純派」なんて、世の中に実在するのかなあ?というのが私の考えなのだ。

見た目も中身も100%「清純派」なんてあり得るんだろうか?

だから、「清純派っぽく見えるところが好きだ。」というのはあり得る話だろう。しかし、「(プライベートを含めて)清純派じゃなかったら許せない。」というのは行き過ぎというか、やや、気の毒な気がしてしまう。

 

思い出すのは天地真理のこと

この話で思い出したことがある。先日もこのブログにも書いたことだが、私は昔、天地真理がアイドルとして好きだった時期があった。いわゆるファンだったということである。

なんと言ってもステージの彼女は可愛くて美しい声で、ファンであった若い頃の私を魅了した。

彼女のイメージはまさに清純派だったのだ。

しかし、その後年月が過ぎて、彼女のアイドルとしてのポジションにもやや陰りが見えてきた頃だったと思う。週刊誌かなんかに、「天地真理が楽屋で、片ひざ胡坐(あぐら)をかいて座り、煙草を吸っていた。」とすっぱ抜かれたことがあった。

清純派なのにとんでもない!というわけである。それがただの目撃情報だったのか、写真にまで撮られたのか知らなかったが、とにかく結構な騒ぎになって、彼女の評判にかなり傷を負わせたのである。

私は、彼女がそんなことを言われている、となにかしら間接的な情報で知った。けれども、直接その週刊誌を見たわけではなかったし、別に見たいとも思わなかった。仮にそれが事実だったとしても「だから何だというのだ!」というのが私のスタンスだったからである。

 

「清純派」をしたたかに演じているのでは?

当時から、私はアイドルというのはステージ上でそのすべてを出してくれればそれでいい、と思っていた。私はステージ上の彼女のファンなのであって、それ以外の実態など追求しても意味がないという考えだったのだ。

そういう意味では、今回の永野芽郁にしてもそのほかの女優やアイドルにしても、「清純派」というレッテルを貼られるのは或る意味気の毒な話である。というのは、芸能界というのはそれなりにしたたかでなければ生きていけない世界だろうと思うからだ。

そういう意味では、世間がイメージするところの「清純派」が生きていける世界などとはとても思えない。

「清純派」に見えれば見えるほど、逆に「清純派」を見事にかつしたたかに演じていることになる。

 

いい加減やめにしたら

ただ、「清純派」というイメージが、商業的には使いやすいことは確かである。特に日本企業はそのイメージに依拠しやすい。

だからこそ、永野芽以のⅭⅯ数はかなり多かった。そのために、今回彼女が負わされたダメージも相手の男性俳優とは比較にならないほど大きかったことになるのだ。
そう考えると「清純派」というレッテルで仕事をこなすというのは、そこそこリスキーでもあるな、と思う。人間の本質に対して、かなり窮屈な型にはめられたイメージでもあるからだ。

女優や歌手、アイドルなどに、何かしらこの型にはまったようなイメージを勝手に投影して「こうでなければならない。」と決めつけるのはいい加減やめにしたらどうだ。清純派そうだからⅭⅯに起用する、という判で押したような日本企業の姿勢もなんだかまだ成熟していないなあ、と私は思う。

 

結局、需給バランスでは?

清純派というカテゴリーは、需給のバランスで成り立っていると思う。清純派というイメージが受けそうだから企業CMに使う、そんな需要があるから清純派を装う、装い方が巧みな女性タレントほどさらに使われる、ますます清純派を装う、この変な繰り返しで、タレント側の「装い続けなければならない」という欺瞞が限界点に達したとき、今回みたいな破綻に至るのではないだろうか。

とはいえ、冒頭にも書いたように永野芽以という女優がそんなに清純派だったっけ?といった疑問は私の中に残る。いい意味で、そもそもかなりしたたかな女優ではなかったのか。

で、その可能性を秘めた女優が、「清純派」というレッテルにちょっと反しただけで、将来への道を断たれるのはなんだかもったいない気もする。まあ、本当に力量があれば、今度は全く違うイメージで復活してくるのであろうが。

こういう雑誌も清潔感のある清純派が選ばれやすいのか。

本文とは何の関係もありません。

 

PS
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