一次情報に近いものをセレクト―私がマスメディアから離れた理由(わけ)―Ⅲ(おしまい)

テレビや新聞などのマスメディアに関して、その内容のプアさや偏向ぶりにウンザリして視聴や購読をやめた私。かくしてテレビも新聞も私の前から姿を消した。それで私が情弱になったのか、世捨て人のような状態に置かれているのか、といえばそんなことはない。

では、私はどうやって必要な世の中の情報というものを得ているのかといえば、それは当然ネットの世界から、ということになる。インターネットを通じて観るニュース、専門分野の記事、コラム、ブログなどの読み物、或いはユーチューブなどの動画、映像ということになるのだ。

 

ここで当然私に対して反論が考えられる。

「テレビや新聞への信頼性がなくなってきたから遮断したというが、それではネットの情報は信頼できるというのか。ネットの方がはるかに信用できない情報で溢れかえっているのではないか。」

というものである。

確かにその通りだ。ネットの情報というのは玉成混合で、信用のできないものについては、そのフェイク度合いデタラメぶりたるやテレビや新聞などマスメディアの比ではないだろう。

したがって、こちら側の責任で充分にセレクトする必要はある。安易に扇動されてはならない。

 

それではきちんとセレクトし、扇動されないためにはどうしたらいいのか。私はその基準を、どれだけ一次情報に近いところから取得しているか、ということに置いている。直接取材したものとか、現場に近い具体的な情報を伝えてくれるチャンネルを選んでいるのだ。

というのは、国際関係の情報について、日本のマスメディアは、外国のやはりマスメディアの配信をそのまま垂れ流しているに過ぎないものが多いからである。日本のメディアの海外における直接的な取材力に関しては大いに疑問符がつくのだ。

 

こんな経緯で、その外国メディアの受け売りに過ぎない、となった場合、ここにはさらなる問題がある。

それは元ネタとして取り入れている先の外国メディアそのものが偏向しているケースも多いからだ。その偏向しているメディアを通過して、さらに日本のメディアにとって都合のいいものだけを切り出して報道されたのでは、ほとんど正確な情報など知る由もない。

 

したがって、私はどうしているかといえば、日本のマスメディアが全く取り上げない重要な情報、それも一次情報に近いところものを紹介してくれるネットのコーナーを見聞きするようにしている。中には、私から見てもかなり重要と思われる情報が、日本ではほとんど紹介されていない、というケースも多々あるようだ。

確かに、ネットの世界は玉石混合で、そのぶれ幅が大きいので個々の情報のセレクトには気を付けなければならない。これに対してマスメディアの世界は、個別にどうの言うよりも、全体として偏向しているので信用できない、ということになる。

 

もっとはっきり言えば、日本のマスメディアは全体として左がかっており、特に中国韓国には甘く、自分の国である日本に対しては極めて批判的であり貶めるような報道が多い。我々世代(団塊の世代プラスややその後まで)は子供の頃からどっぷりとそういった報道体制の中で育ってきたのだ。冒頭に書いたようにテレビにうんざりし始めた頃から、無意識のうちにそういったマスメディアの報道姿勢に疑問を持ち始めていたのかも知れない。

 

メディア断ちをして、自分できちんとセレクトした情報ソースから知識を得るようになって随分ものの見方が変わった気もする。以前は、自虐史観その他の影響で、私も自国への向き合い方にバイアスがかかっていた。自虐史観のようなものが抜けないうちは、誰だって自分の国に誇りを持てないだろう。

まあ、こうやって日々の新しい情報を取り入れることも大事だが、正しい本質的なものの見方というものも身につけたい。そのためには、いつも最新情報を追っかけるだけでなく、古典的な名著といったものにも触れる必要があるだろう。

そういった使い分けなどしながら、これからも情弱にならないように世の中をウォッチングしていこうと思っている。

いつでもどこでも情報は取れるようになりました

おしまい