両者の融合が大事―「暗黙知」と「形式知」について考える―Ⅳ(おしまい)

「形式知」がますます重要視される時代、と先述したが、私はそういったスキルのレベルが上がってくればくるほど、「暗黙知」的な世界の充実度も図っていく必要があると感じている。

それは、冒頭で述べた「先輩の背中・・」とか「我が社の伝統文化・・」とかいった曖昧なものではなく、もっと実務に即した高度な世界での話になる。

 

とりわけ重要なのは、アイディアとか企画力とか先見性といったものである。

こういったものは「形式知」の世界からは生まれてこない。

特にキャリアにも関係ない。

 

そういった企画力とか先見性を持とうとする姿勢を、若いときからを含めて、ずっと維持し続けられるか否かにかかっているのだ。

また、そのような姿勢が職場全体にあれば、キャリアの長い先輩の持つ「暗黙知」が生きてくる可能性もあるだろうと思う。

 

ただ、その先輩社員の持つ「暗黙知」がロクなレベルでなくて、「形式知」にも疎ければ、「働かないおじさん」のように揶揄されて当然である。

しかし、少し視点を変えるなりしてみれば、彼らにもそれなりに重要度の高い「暗黙知」がないことはないだろうと思う。

 

少なくとも、私が培ってきた「暗黙知」については、できるだけ社員たちに、とりわけ若手の社員には、理解してもらえるよう伝え続けている。

そういう意味では、私の職場では若手と結構うまいこと補完しあっているのではないか、と思っている。

まあこれが、私の方の一方的な思い込みでなければいいのですが・・

 

私が重要視し、目指している世界は、近年、巷(ちまた)でよく言われているところのリベラルアーツ(教養諸学、一般教養)といったジャンルなのかも知れない。

これは、これからの大きな研究課題である。

 

「暗黙知」的な世界に過度に軸足を置いたおじさんのビジネス社会は、次第に駆逐されつつある。

かといって、ビジネスは「形式知」的な世界だけで完結できるものでもない。

両者の融合が大事とは思っているが、もう少し「暗黙知」の方のスタンスを修正し、さらにレベルアップを図る必要性があるのではないか、というのが私の近頃考えるところである。

あの手この手で伝える「暗黙知」?

 

おしまい