誰にも見えていない的・・―天才と賢い人の違いは?の問から考察する現実―Ⅰ
インターネットを見ていたら「天才と賢い人の違いはなんですか?」という問いに答える、といったタイトルのコラムがあった。
そのコラムの中に、哲学者ショーペンハウエルの言葉として次のような一節が紹介されていた。
「才能とは誰も射ることのできない的を射ることであり、天才とは誰にも見えていない的を射ることである」
私は「ウーム・・!!」とうなった。
さすが、ショーペンハウエル、並みの表現力ではない。
この例えが、それこそ的を射ている。
ショーペンハウエルは「意志と表象としての世界」の著書で有名な、歴史に残るドイツの哲学者である。
上記の言葉は、彼の面目躍如、まさに天才的な指摘である、と言えよう。
現実世界の中で、私の周りにもそこそこ賢い人はいる。
それでも「誰も射ることのできない的を射る」ところまでの人はなかなかいない。
ましてや、「誰にも見えていない的を射る」境地の人に実際出会ったことはない。
もし、そんな人物に一生のうち一回でも出会えるとしたラッキーというものだろうと思う。
中学(わりと有名な進学校でしたけれど・・)から大学まで、友人たちを含め周りの人間たちの中にも、結構賢い奴はいるにはいたが、上記のような「天才」と言えるレベルの人間には出会えなかった。
ところで、上記のショーペンハウエルの言葉はいろいろな意味で示唆に富んでいる、と私は思った。
この例えは我々の日常からは、一見かなり遠いレベルの話を示しているように見える。
ただこれを、自分たちとは関係のないはるか高い次元での話として切り捨ててはいけない。
そこからグッと逆算して、我々はその手前の現実世界に思いを寄せてみるべきなのだ。
というのは、或る意味このような普遍性のある大きな判断材料を示してもらったということは、その手前のもっと身近な考え方や行動の基準といったものについては、それを推論する物差しになるはずである。
そう考えてみるだけで、我々の日常生活、特にビジネスシーンに関連していろいろと参考になるのではないかと思ったのだ。
天才たちの著書が並んでおりますが・・・
つづく