ちゃんとしているけどダサい?!?・・・―残念!なのは何故なんだろうか?―Ⅰ
先日、上京したときのことである。
私は、地下鉄に乗って四谷から新宿へと移動していた。
車内は空(す)いてもいないし混んでもいないといった状況だった。
幸い私は座れたので、しばし車内の様子をウォッチングすることにした。
すると、斜め前の入り口近くに大ぶりのチェックの半袖ボタンダウンシャツ、ネイビーのチノパン、ナイキのスニーカー、リュックを背負った若者と中年のちょうど間くらいの青年が立っていた。
BDシャツの裾はタックインしてきちんとベルトも締めている。
つまり、彼は「ちゃんと」していたのである。
ビジネスの装いではないが、着崩した感じは全く見られない。
カジュアルウエアを、上から下まで一部の隙もなくちゃんと身につけているのである。
にもかかわらず、である。
にもかかわらずなのだが、なんかちょっとダサい。
こういう着こなしをしているということは、おそらく、おしゃれや着るものに全く無頓着、ということはない人なのだろう、と推察する。
でもなんだか見た目ダサいのだ。
こんなことを書いていると、なんか、見知らぬ人をめちゃくちゃディスってる、ということになるので、大変申し訳なく心苦しい。
しかし、まあ、事実は事実なので仕方がない。
ファッションがカッコよく見えるのは、その人の持つ「やや不良性」によるところが大きいのではないか、と思うことがある。
もちろん、世界のVIPやセレブの中には極めて真面目な人格にもかかわらず、すごくカッコイイといった恵まれた境遇の人もいないではないが、これはごくごく少数派である。
身近にいてかつ一般的な目線で見て「カッコイイ」というのは、その人にやや不良的な要素があるから、という気がする。
そこのスパイスがないと、そのカッコよさが表に出てこないような気がするのだ。
特にカジュアルなファッションのときはその感が強い。
ということでいうと、私がこの日「ちゃんとしているけどダサい」と感じた青年はきっととてもまじめな性格の人なのではないか、と推察した。
少なくとも私みたいな「いい加減な野郎」ではなさそうだったのである。
この時々見かける「ちゃんとしているけどダサい」って人は、やや気の毒な気もする。
彼なりのがんばりや努力があまり報われていないのではないか、と推察するからである。
まあ、本人からすればこれほど「余計なお世話」な話はないと思うが・・・
不良っぽい?すか?
つづく