点対称・・対角線上のコンセプト―残念!なのは何故なんだろうか?―Ⅱ(おしまい)
この「ちゃんとしているけどダサい」と思えた青年を見ていて思い出したのは「ちょうどいいブス」という言葉であった。
「ちょうどいいブス」というのは、「ちょうどいいブスのススメ」というタイトルの、お笑いタレント山崎ケイが書いたエッセイからきた言葉らしい。
私は、この本もこの言葉も流行っていたことすら知らなかったが、テレビドラマにもなったということで、数年前、結構な社会現象だったようだ。
私が知ったのは、つい最近インターネットのコラムかなんかで取り上げられているのを読んだからである。
その著者は、近頃よくテレビで見かける政治学者の三浦瑠璃がまさにそれに当たるのではないか、と書いていた。
「なるほどそれは言い得て妙だな。」と私には、と大いに受けたのだが、この感じお分かりになるだろうか?
地下鉄の中で「ちゃんとしているけどダサい」と感じた青年を見たとき、ふと頭に浮かんだ言葉がこの「ちょうどいいブス」だったのである。
『これってなんか似てないか?』と頭の中で変に結びつく。
しかし、「ちゃんとしているけどダサい」は最終的にネガティブな結論に行き着く。
一方「ちょうどいいブス」は、結果的にはポジティブな着地点に落ち着くような気がする。
似ているようで逆である。
かといって、全く正反対の捉え方でもなさそうである。
よく考えてみると、この二つ、対角線上にあるコンセプトではないかと思い当たった。
つまり線対称や面対象ではなく、点対称である。
ぐるっと回してみるとなんだか似たような結論に達する、というやつだ。(久しぶりに数学を思い出しました。)
このことは、現代の世相も表しているような気もする。
男は頑張ってもなかなか報われないのが今の世の中だ。
「ちゃんとしているけどダサい」に代表されるように。
それに比べて女性は、目線や発想を少し変えれば結構いいポジションを獲得できる。
また女性はそうやって、自分なりの幸福感や居心地の良い場所を見つけるのがうまいのだ。
「ちょうどいいブス」がそれをよく表している。
電車の中でふと見かけた「ちゃんとした服装の青年」から、話がずいぶん飛躍してしまった。
彼を見ていてある種の可笑しさを感じると同時に、男性と女性を含めた現代の世相まで思いが膨らんだ「どーでもいい話」でした。
勝手なことを書いてすみませんでした。
おしまい