青春のいい思ひ出?・・いや、それはないな!―一輪車はクソの山に登る・・過酷な労働につぶされそうになった青春の日々―Ⅹ(おしまい)

北海道の酪農牧場で、牧場のメンテナンスや干し草づくり、酪農牛の世話から出産の立ち合いまで経験した私も、そんなに長くは学業の方を放っておけなくなってきた。

4月になって東京に帰る日が近づいてきたのである。

 

そうこうしていても、相変わらず、牛の糞の山は毎日積み重なっていく。

どこまでこれを積み上げていくのだろう、と思っていた春先のある日だった。

 

近所(といっても全て数キロ四方だが・・)の牧場仲間の人たちが、トラクターや小型のブルドーザーなどに乗って一斉にやってきた。

そして、みんなの共同作業で、私が毎日積み上げてきた糞の山を、雪を空中に飛ばして除雪するあの除雪車のように盛大に牧場中にばらまいたのである。

 

つまり、牛が牧草を食べて排泄した大量の糞は、再び牧草の栄養分として牧場にリサイクルされたことになる。

私が毎日慣れない一輪車を操りながら苦労して積み上げたクソの山はこうやって、ほぼ半日もかからないうちに全く姿を消してしまったのである。

 

このとき以外も、北海道の酪農家では、一つの農家では対処できないような作業については、何軒もがまとまって取り掛かる申し合わせが昔からできているようだった。

厳しい環境下で生きていく上での大事な知恵なのだろう。

 

彼らの場合、仲が良いとか悪いとかはあまり関係ない。

必要な時は、こうやって助け合わなければ生きていくことができない。

そういう意味での連帯というのは、生活していく上で欠くことのできない基盤のように見えたのである。

 

さて、総括的にこの北海道の日々を思い起こせば、以前にも書いたように随分濃い50日間だったことになる。

細かいことを思い出してみると、まだまだ書けることはいくらでもあるのだ。

 

では「青春のいい思ひ出」といえるか、といえばそうでもない。

私がはっきり確認できたのは

「俺には絶対畜産業はできないな。」

ということであった。

 

かなり過酷な労働であり、なんといっても休みが取れない。

多少の変化や日々の中に喜びや充実感といったものがないわけではないが、それでも私にはきつ過ぎると感じた。

 

不思議なことに、「北海道へ」と行きの夜行列車や青函連絡船のことはよく覚えているが、帰りの旅のことは全く思い出せない。

あのときは、自分の中で何もかも忘れ去ろうとしていたのであろうか。

 

あの体験が、私の人生におおいにプラスに働いたかというとそうでもない。

いや、全くそれはないな、とはっきり言える。

ただ、「こんな世界もあるんだ。」と経験できただけのことである。

 

つまり、エスケープの先には大したものなどあり得ないということなのだ。

ただ、50年ぶりくらいに思い出して、こうやって書いてみると、いろいろあったなあ・・と少々感慨深いのである。

地平線に夕日が沈む。

 

おしまい