「ぼっこ」なんて知るかいっ!!―一輪車はクソの山に登る・・過酷な労働につぶされそうになった青春の日々―Ⅴ

今思い出すと、北海道で働いた1ヶ月半というのは、結構濃かった気がする。

近年特に月日の過ぎ去るスピードが速い。

ひと月半などというのは、あっという間に過ぎ去ってしまうのだ。

 

それに比べて、あの約50日間にはいろいろなことが詰まっていた。

50年近く昔のことだが、こうやって思い出しながら書いていると、日々いろんなことがあったなあと記憶がよみがえってくるのだ。

 

特に変化もなく、ただ表面を浅く滑っていくような現在の毎日に比べて、あの体験の濃さは対照的である。

まあ、あのときはそんなに意識もしていなかったが、こうやって振り返ってみると、あれをやっていたのとやっていなかったのとでは随分違うかも知れないな、と改めて思う。

 

とはいえ、動機がそんなに褒められたものではなかったので、誰にでもお勧めできるというものではないが・・・

 

あの時の体験で強烈に印象付けられたのは、「農民の粘り腰」ということであった。

畜産といっても、牛舎の中だけではなく屋外の仕事も多い。

 

一度、牧場主と牧場を囲む有刺鉄線の柵を直しに行ったことがあった。

ずっと続く柵をたどっていくと、あちこち細かい破損個所がある。

それを一つずつ直しながら進んでいく。

牧場の端っこには森があって、有刺鉄線の柵はその森の中へと続いていた。

 

すると、森の中でも壊れている箇所が見つかったのでさっそく修理に取り掛かる。

ところが、ここでは損壊の程度が意外に大きく、太い木の支柱も折れていた。

必要と思われる道具は持っていたが、それは想定外のことで、そんな太い支柱など持ってきていない。

 

私はすぐに

『これは出直しだな。いったん帰って(支柱になる木を)持ってこなければ始まらないな。』

と頭の中で考えた。

ただそうすると、往復に結構な時間を要するため、夕方の搾乳の時間に間に合わなくなる。

 

『この日の修理作業は、ここでいったん打ち切りだな。』

と思ったそのときだった。

牧場主が私に声をかけた。

「おい、あそこのぼっこさとってこい。」

 

一瞬、何を言われているのかわからない。

戸惑って固まっていると、

「ぼっこだよ、ぼっこさとってこいっ!」

と再び怒鳴られる。

わけが分からなくてますます混乱したが、彼の指さす方を見ると、一本の倒木が目に入った。

 

そこでようやく「ぼっこ」というのは、どうやら「丸太」のことを指すらしいというのが理解できた。

そこで、その結構太い倒木をうんしょと抱えて彼のところへ持って行った。

 

「まったく、なんですぐわからねえんだ。」

と舌打ちされたが、私も

『ぼっこなんて言葉、初めて聞いたよ。わかるわけないだろっ!』

と心の中で怒鳴り返す。

 

まあとにかくそうやって手もとにきた丸太を、彼は目測で計って、のこぎりで切り始めた。

私もそれを見ていて、

『ああ、これを支柱として使うんだ。』

と気づいたのである。

 

それを見ていて私は

『なるほど、こうやって道具がないときは現地調達で何とかするのか。』

と、さっきまでのやり取りのことは忘れて感心した。

私は『出直しだな。』と思ったが、彼は

「そんなことやり直している暇はない!」

と、その場での解決法を探って見つけ出したのである。

 

森の中の「ぼっこ」

つづく