嫁は帰ってこなかった・・一輪車はクソの山に登る・・過酷な労働につぶされそうになった青春の日々―Ⅳ

私が住み込みで働いていた北海道の酪農家は、牧場主とその両親、牧場主の幼い娘の4人で暮らしていた。

牧場主の奥さんの姿が見えなかったのは、2番目の娘がなにやら重い病気にかかっていたようで、町の病院に入院していたためその子にずっと付き添っていたからである。

 

私は50日近く働いたが、その間、その嫁が帰ってくることは一度もなかった。

相手が小さな子供なので、離れるわけにはいかなかったのだろう。

 

とはいえ今考えれば、家にはもう一人の娘もいるし、祖母ちゃんもいるのだから交代できないことはなかったのではないかと思う。

それでも、あの家に全く帰ってこなかったのは、私が従事した過酷な労働の一端を担っていたであろう彼女にとって、病院の付き添いは、或る意味つかの間の安息の時間だったのかも知れないな、とあとで思った。

 

まあとにかく、そうやって人手が無くなった牧場としては、何としても働き手が欲しかったわけで、そこへのこのこやってきたのが私だったのである。

今考えれば、あのきつい労働を夫婦でこなすというのは、よほどの覚悟がないと無理であろう。

しかも休日というのがない。

現在の感覚から言えば、まさにブラックの極みであった。

 

休日というのは全くなかったが、一日のうちに休む時間はある程度あった。

一日中、忙しくしていたわけではなかった。

 

早朝、4時台に起きての仕事は2時間ほどで終わる。

そうすると、軽く何か食べて休憩する。

その後、普通の勤め人が働き始めるくらいの時間になって、ちゃんとした朝食を取る。

 

午前中は、干し草を運んだり、畑の手入れをしたりといろいろな雑用をこなす。

お昼は当たり前の時間に普通に食べる。

その後、夕方までまたいろいろな仕事をこなすのである。

特にやることのない日は、ここも休憩時間となる。

 

夕方、毎日の仕事である搾乳と水やり、糞の処理といったルーチンの仕事に取り掛かる前に軽く何か食べる。

そして、メインである牛の世話が終わった後、風呂に入ってちゃんとした夕食になるのである。

 

つまり、一日5回食事をとることになる。

それでも、労働が過酷だったので食べ過ぎ、という感じは全くなかった。

それどころか、一日5回も食べながら、私の体重はどんどん減っていった。

 

というわけで、食べることに制限をかけないでダイエットしたいという人には、牧場での労働をお勧めする。

多少の筋肉痛というおつりはくるものの、それまで以上に食べたとしても間違いなく痩せていく。

身体が絞られていくことは保証する。

ただ私には50日くらいが限度だったが・・・

北の大地に夕日が沈む。

 

つづく