働けるだけ働いちゃおう、の方が或る意味健全だった?!?―「働き方」について思うこと―13

バブル経済真っただ中、東京で起業した私は、当時、めちゃくちゃ働いた経験を持っています。

あのときは、自ら選んだ道だったので、忙しくて超長労働時間だったにもかかわらず、全く苦ではありませんでした。

 

さて、あれから約30年、世の中の労働事情は大きく変わってしまいました。

現在、地方で会計事務所を営む私は、政府が進める「働き方改革」に従って、勤務体系や給与規定といったものを整備し、かつて私が東京で取り組んでいたような労働環境ははるか遠いものとなってしまったのです。

 

あの頃の方が良かったとか、あの頃に戻りたいとか思うわけでは全くありませんが、かといって、現在の日本における労働事情がどうなのか、というとそれほど褒めたものでもないようです。

いまだにブラック企業やサービス残業が横行する世の中に、何か疑問を感じるのは私だけではないようで、そういった現状を指摘するコラムがあったので今回取り上げています。

 

そのコラムは、上記のような現在の労働環境について、次のように疑問を呈しています。

― では、「日本人は働き過ぎ」の大合唱は何の目的で行なわれたのでしょうか?

あくまでも私の推論ではありますが、日本人を働かせたくない、日本をこれ以上発展させたくない、日本を経済成長させたくない、そういう意図があったのではないでしょうか。

実際その大合唱の後、超緊縮や構造改革の推進と相まって日本は成長せずに停滞し、衰退過程に入っていると言ってもいい状況になっています。―


確かに、バブル経済崩壊以前までは、日本人は一生懸命働くことに、何の疑問も感じていなかったように思います。

働くことと経済的に成長することがシンクロしていましたので、仕事が充実していればそれにともなって収入も伸びる、ということは、ほぼ一致していました。

 

バブル経済頂点の頃は、上記の現象がいささか顕著すぎたとはいえ、これは当たり前といえば当たり前のことなのです。

今の世の中がおかしいと思うのは、ブラック企業やサービス残業のように、働きすぎにもかかわらず、それが収入に反映されない、ということです。

 

このコラムにも書かれているように、日本の成長ぶりは世界の脅威だったのかも知れません。

多少の是正は必要だったとはいえ、働けるだけ働いちゃおう、と多くの日本人がそう思っていたかつての日本の方が、或る意味健全だったのかも知れないな、と、自ら当時を経験した私も思います。

 

あの頃は頑張った!?

つづく