それでも、何とも明るい時代感―「働き方」について思うこと―Ⅹ

さかのぼること35年ほど昔、東京で同世代の仲間たちと起業した私は、バブル期の超好景気ということもあって、今では考えられないような面白い仕事に向き合うチャンスに恵まれ、それをこなすために日々懸命に働きました。

当時、わずか7,8人で回していた会社は、次々と受注するレアでハイレベルな案件に対して圧倒的にマンパワーが足りなかったので、期せずして超長労働時間にならざるを得なかったのです。

 

その超長労働時間になったいくつかの具体的な原因は、これまで述べてきた通りです。

さて、ここから問題提起したいのは、そんな「働き方」だったにもかかわらず、私も含めておそらく当時のメンバーは、それを全く苦痛には感じていたわけではなかった、ということです。

 

それは、メンバーの誰もが、それぞれの役割を心得、積極的に仕事に向き合っていたからにほかなりません。

これは結構大事なことで、「働き方」というものを考えたとき、現在の日本の状況と比較して、掘り下げていくべき一つのテーマだと思うのです。

 

そんなことを考えていたら、インターネット上で少し興味深いコラムを見つけたので紹介したいと思います。

それは「働き過ぎといわれた日本」というテーマで、次のような書き出しで始まります。

 

― かつて、1980年代のバブル期を中心に、「日本人は働き過ぎだ」、もっと休もうとか、有給休暇をしっかり取得しようとか、そういったことが言われていたことがありました。

労働省(当時)がキャンペーンまで行って有給休暇取得を推進していました。

一方で、モーレツ社員とか、「24時間戦えますか」というキャッチコピーに象徴されるように、国民の側では、みんながみんなとは言いませんが、がむしゃらに働くことが良いこと、素晴らしいこととされる風潮がありました。

残業は当たり前、休日出勤もなんのその、そんな空気感もあったかもしれません。―

 

今回、ずっと書いてきたまさに私たちを指しているような書き出しです。

確かに、思い出してみれば、「24時間戦えますか」といったフレーズのⅭM(確か栄養ドリンクのCMだったような・・)があったことを思い出します。

今だったら、労基(労働基準監督署)がすっ飛んでくるような働き方ですが、あの頃はそれが当たり前のように仕事に向き合っていたのです。

 

私はここで感じていただきたいのは、そんな労働環境とはいえ、何とも明るい時代感だったということです。

上記のような働き方がまともでないのは、現在の「ブラック企業」を持ち出すまでもなく、当たり前の話です。

 

しかし、当時は今の「ブラック企業」問題とは異なって、日本社会全体がそれを苦にしない風潮がありました。

それは、そのど真ん中で、まさに時流に乗っていた私たちの実感でもあります。

 

打ち合わせ中のテーブル

めちゃくちゃ働いてたなあ・・・

 

つづく