なにかしらの影響を与えてこそのアウトプット―意識を変えればうまくいく?!?社長に相応しいアウトプット術とは―Ⅳ
インプットは基本「受動的な行為」であり、アウトプットの宿命ともいえる「能動的な行為」としての大きなエネルギーを要するものではありません。
この点がインプットとアウトプットの顕著な違い、ということになります。
また、アウトプットに最も必要不可欠な要素は「言葉」であり、これを駆使できなければなりません。
インプットが「読む、聞く、見る」の導入口における、映像的要素も大きいことに比べて、アウトプットの最も基本的な手段はやはり「言葉」ということになります。
さらにインプットとアウトプットの違いをもう少し追求してみましょう。
インプットは良くも悪くも全く個人的な行為ということができます。
本を読みながら、「ああその通りだ。」「いやそれは違う。」といくら突っ込みを入れても誰も何も言いません。
テレビを見ているときも同じです。
プライベートな場であれば、画面に向かってどんな感想を持とうが突っ込もうがこっちの勝手です。
つまり、会場や教室などで受けるセミナーや講演などは別として、そういった公的な場でなければ、誰の目もはばかることなく好きな形で受け入れればいいのです。
自らの理性的な判断によって、或いは感情の赴くままに、どんな態度をとっても許されるのがインプットです。
これに対してアウトプットは、そもそも人の目にさらされることを前提とします。
誰か他者によって「読まれる」「聞かれる」「見られる」ということがなければ意味をなしません。
私のいうアウトプットは、基本ビジネスを想定していますので、誰も読まない日記のような極めてプライベートなものは対象から外しています。
誰かがそれを読み、その人に、なにかしらの影響(特にビジネスにおける)を与えて初めてアウトプットといえるのです。
そう意味では、その内容について客観的な視点が必要です。
感情の赴くままに書かれた文章が、人に不快感を与えるようであればアウトプットなどしない方がましなのです。
それは当然ですが、自分のビジネスに悪影響を与えるからです。
やたら専門用語が多用されているようなものも同じです。
人が読んで理解できないようなものなど意味がないからです。
アウトプットによって理解を得るには、
それなりの力量が必要かも知れません。
つづく