そんなに慰めて欲しいかⅢ
そのとき、私がその先生のお話の内容以上に違和感を覚えたのは、「あの話は良かったなあ。」と、まるで懐かしむような表情を浮かべる経営者の精神(マインド)であった。
「そんなにこの手の話を聞きたいのか!」
というのが、私の偽らざる気持ちだったからである。
「わかる、わかる、お前たちも辛かろう。いろいろ言われてもどうしようもないよな。」
というのは、いわば同情である。
同情されてうれしいのか?
ま、気持ちを理解してくれるのだから、悪い気はしないだろう。
問題はその先である。
いずれにしてもそこで終わる訳にはいかないじゃないか、と、私は思うのだ。
私だったら、同情されてそこで終わる話を聞いても全くもって何のプラスにもならない、と思うだろう。
「同情」と「共感」は似て非なるものである。
「同情」というのは、感情をいわば同期させてそこで終わってしまうものである。
「共感」は、相手の気持ちに寄り添うところまでは同じでも「さあ、そこからどうする?」と、感情の先にある理性を喚起するのではないか。
まず「共感」がなければ、相手は心を開かないだろうが、そこをベースにして先に進まなければ意味がない。
少なくとも「仕事の場」ではそうである。
つづく