自分に課していた恐ろしいほどの努力―文学全集、一家に一セットあると思っていたあの頃―14
わが家にあった文学全集の中で、世界の文学の中では、特にロシア文学とドイツ文学に傾倒した私。
そのほかの国では、どんな作家たちに影響されたのだろうか。
振り返ってみたい。
英米文学では、アメリカのヘミングウェイが面白いと思った。
特に彼の「老人と海」は、あとで原文で読んでみたいとさえ思ったくらいである。(挑戦したものの、残念ながら、あえなく挫折したが・・・)
アーネスト・ヘミングウェイは、フロリダ州キーウエストに住み、実際、海で豪快な釣りに興じたり、アフリカで猛獣の狩猟を行なったりしている。
最後は、61歳の若さで、自殺という悲劇的な結末で終わった人生だが、その生き方には興味深いものがあった。
イギリス文学で大作といえば、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読んだ。
覚えているのは、登場人物が複雑でややこしくて、それぞれの登場人物の名前とポジションが書かれた栞(しおり)を手元に置きながらでなければ、とても読了できなかったであろう、ということである。
「嵐が丘」の舞台となったイングランド、ヨークシャーの荒涼とした風景は、小説を読んでいるだけで目に浮かぶようだった。
のちに、その荒漠とした丘陵地帯の写真を見たとき、文章からイメージした光景と見事にシンクロしたのである。
これも、作家の力量によるものだろう、と感心したことを覚えている。
登場人物の名前が錯綜してややこしい、というのは、ロシア文学でも嫌というほど経験した。
やたら、○○ノホフとか○○スキーとか○○ウィチとか似たような名前が出てくるので、途中で誰が誰だったかわからなくなる。
そんなときは、先述のように大抵の書籍には、登場人物の名前と立場を明記した栞が入っていたのでそれを手元において読み進めた。
逆にその栞がなくなったときは大変だった。
たちまち、誰が誰だかわからなくなるからである。
ただ、この対策としては、私なりに解決策を見出した。
それは、その登場人物の名前を正確に何回か声に出して復唱するのである。
例えば、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でいえば、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ、イヴァン・フョードルウィチ・カラマーゾフ、イリヤ―・リザヴェータ・スメルジャチシャヤといっためんどくさい名前を正確に何回か唱えるのだ。
まあ、若かったからだろう。
そうすれば、何とか登場人物の名前が頭に入ったのである。
今だったら、何回唱えても無理な気がする。
とまあ、こんな風に四苦八苦しながら、難解とも思える文学作品を力わざで読みこなしていた。
どれだけ頭に入ったものか疑問だが、今考えれば恐ろしい努力を自分に課していたものである。
ドストエフスキー作品の登場人物は、名前がややこしかったなあ・・・・
つづく
今日の川柳コーナー
◆何回も 唱えて覚える 外国名
◆文学に 対する情熱 今どこに・・・
これまで、努力といえる唯一のものだったかも・・・・