「会社にぶら下がっているだけの人間」は要らなくなる時代―「働かないおじさん」特集に見る日本のビジネス業界事情―Ⅸ
これからは会社に食べさせてもらっている人は生き残れず、自分の力で食べていける人だけが生き残るようになり、その人にとって、会社に所属するかしないかは二次的な意味しか持たないようになっていく、という時代。
そんな時代に「働かないおじさん」だけでなく、すべての「働く人」は、どのような覚悟や心構えを持って仕事に向き合えばいいのであろうか。
その点をこのコラムでは「新型コロナが社会の変化を加速させた」という小見出しで、次のように述べている。
―今後は、意欲や姿勢、年齢や性別など、非エッセンシャル(本質的)な部分で評価されることはなくなるだろう。
会社のビジネスにいかに貢献したかという、目に見える成果のみで測られるエッセンシャルな評価システムになる。
「働かないおじさん」だけではない。
この動きが促進されることで、男女、年齢問わず、「会社にぶら下がっているだけの人間」は要らなくなる。
そして、新型コロナウイルスの出現によって、その変化はさらに大きく加速される。
変化には、これまで想定していたものと、まったく想定していなかったものとが混在するだろう。―
確かに上記にあるように、大きな企業におけるビジネス社会では、非エッセンシャルな評価もある程度考慮されていた。
その代表的な存在が「働かないおじさん」だったのだろう。
「働かないおじさん」は、「何の貢献もしないどうでもいい存在だけど、昔は会社のために頑張った、という話だし・・」とか「余計なことに首さえ突っ込まないでいてくれれば、特に邪魔になるわけでもないし・・・」といった評価のもと、その存在が許されていたのかも知れない。
これが大企業や公務員といった大きな組織のもとで起こっていた現象なのである。
しかしこれは、私のように普段中小零細企業だけを相手にしている身としては、ちょっと不思議に映る光景である。
中小零細企業にはそんな余裕などとてもないからだ。
そもそも、エッセンシャルな部分のみで評価だけされることが、当たり前といえば当たり前なのではないか。
「会社にぶら下がっているだけの人間」を許していたビジネス社会そのものがおかしかったということになるのだ。
働く合間に一杯やることも・・・
つづく