「自慢話」とは「まずい料理」のようなもの―経営者が物語(ストーリー)を持つべき理由―Ⅱ
社長の持つ数々のストーリーやエピソード、といういつでも取り出し可能な「引き出し」がどれだけあるのか。
この「引き出し」をなるべくたくさん持つよう私はお勧めしているのです。
この「引き出し」の豊富さは、経営者にとって大いなる『武器』になります。
というのは、吟味され熟成されたストーリーを好まないという人は、そう多くはいないからです。
社長独自の歴史の中で培われた『物語』(ストーリー)というものは、当たり前の話ですが唯一のものであり、他では聞くことができません。
この唯一の『物語』が社長自らの発信によって真摯に語られるとき、人々は姿勢を正し、それを興味深く聞くのではないでしょうか。
ただ、少し気をつけなければならないのは、これは「自慢話」と紙一重であり、その区別がつけにくい、ということです。
「自慢話」とは、言わば「まずい料理」のようなものであり、大抵の人は口に合わず聞いていてもあまり愉快な気持ちにはなりません。
ただ、悲しいことに、世の中では結構このうまくもない「自慢話」の方が横行しています。
それに比べて、質の高い『物語』が語られることの方が圧倒的に少ないのです。
何故ならば「自慢話」の方が『物語』に比べて料理としては簡便で、提供しやすいからにほかなりません。
自分の体験を大した検証もせずに披露すれば、それはお手軽な「ご報告」であり、それが成功体験であれば「自慢話」になってしまうでしょう。
この段階を超えて、人々が耳を傾けるレベルの『物語』を語れる社長は驚くほど少ないのです。
「自慢話」で終わっている人は、それを『物語』にまで昇華させなくては、などとは考えてもいないのでないでしょうか。
ということは、逆に『物語』をちゃんと語れる社長は貴重な存在、ということになります。
これは無理もない話で、自分の経験を『物語』のレベルまで昇華させるのは、かなりの「知的作業」になるからです。
このことは、はじめ私にはそれほど難しい作業には思えませんでした。
しかしながら、経験や体験を『物語』まで昇華させる人のあまりの少なさに、そう簡単ではないのだ、と気付かされました。
つづく