国語は「読む、書く、話す」の3要素から成る―「言葉」について・・表現力はどうやって磨かれるのか―Ⅶ(おしまい)
今回取り上げたのは、劇作家の山崎正和氏によって書かれた日本語教育に対する提言であった。
私は、興味深く読ませてもらったが、そろそろ結論を出さなければと思う。
文科省は「論理国語」という新しい選択科目を設置することによって、簡明で実用的な文章を教えたいという意図を持っているのであろう、というのが山崎氏の見解であった。
この方針に一定の理解を示したうえで、これを有意義なものにするために、山崎氏は二つの実現可能な方策を提案されたのである。
一つは、文章でものごとを描写させる訓練であり、もう一つは、長い文章を要約する練習であった。
これらの提案を実行したうえで、結論として読書の大切さを訴えておられたのである。
それは以下のようなものである。
― 二つの教授方法を提案したが、どちらにとっても不可欠なのは本を読むことである。
国語は「読む、書く、話す」の3要素から成ると言われるが、最も重要なのは比較の余地なく読むことである。(中略)
発信は言葉がなくてもかろうじて可能だが、読み解いて理解することは言葉の独擅場である。―
国語の3要素はいずれも重要だとはもうが、山崎氏のおっしゃるように、比較の余地なく「読む」ことが最も大事なのであろうか。
人間の営みにおいて「書く」も「話す」も大事だとは思うが、ここでは「国語の教育において」ということなのだろう。
最後に山崎氏は、「読書」に関して日本の国語教育に警鐘を鳴らす形で提言をまとめておられた。
― 国民の読書量が激減していると言われる現代、せめて高校生には教科書以外の本を年に30冊、3年間で100冊を読むことを奨励することが、公教育の責務ではなかろうか。―
年に30冊ということは、1ヶ月に2,5冊、約2週間に1冊のペースで読むことになる。
もちろん、できない数字では全然ないが、なかなかこんな高校生はいないだろうなあ・・と思う。
他人よりも結構たくさん本を買う方の私でも1年で30冊平均は読めていない。
私の青春時代は、DVDもなければスマホもゲーム機などもなかった。
どちらかといえば、読書しか時間を埋める術がなかったという事情もあって、結構本は読んだものだ。
優れた文学は、人生に深みと彩(いろどり)を与えてくれる。
今の若い人たちにも読書の悦びを知って欲しいと私も思う。
もっと本を読まなくちゃあなあ・・・・
おしまい