枚挙にいとまがない―日本語を笑っちゃあおしまいだよ、の教訓―Ⅳ(おしまい)

「枚挙にいとまがない」という表現をよく使う、と発言してスタジオ中から総スカンを喰った女性大学教授・・・さすがにこの光景には私も呆れた。

「枚挙にいとまがない、くらい知ってろよ!」

と、画面に突っ込む。

 

私に言わせれば、

「教養がないにもほどがある!」

である。

日本語には、古めかしくて少し難しい言い回しにはなるけれど、格調の高い表現、というものも多い。

確かに言葉は生き物で、昔使われていた表現も今では死語となったものはいくらである。

 

しかし、流行語の類ならともかく、美しい日本語はできるだけ大事に残していってほしい。

「腐心」も「枚挙にいとまがない」も普段はあまり使わないかも知れないが、それなりのニュアンスを伝えたいときには、取っておきの言葉でもあるのだ。

 

それを自分たちが知らなかったからといって、嘲笑するような態度をとる人たち。

彼らを見ていて、つくづく「これって逆だろう!」と思う。

取るべき態度は

「素晴らしい言葉を教えていただいてありがとうございました。とても勉強になりました。」

・・・だろう、と。

 

美しい言葉、格調の高い表現、といったものに、日本人はもっと敬意を払うべきだろうと思うのだ。

どうして、そう言ったものが失われてしまったのか。

 

それは、テレビのお笑い番組やバラエティー番組などが世間を席巻して、短か目で早いレスポンスに馴染む言葉、聞いてパッと分かりやすい表現、といったものが当たり前の世界になってしまったからなのかも知れない。

 

だとしたらなおさらのこと、あえて美しい日本語、格調の高い表現といったものに注目し、それを大事に守り育んでいかなければならないと思うのだ。

 

さてそんな中で、とっておきの難しそうな表現、「人口に膾炙する」って意味、わかりますか? 

わからなかったら調べてね。

 

 

おしまい