どんなじじいになるのか?―疎まれもせず、重宝がられもせず・・・が、理想かな?―Ⅶ(おしまい)

前回で最後にするつもりだったが、また1回分伸びてしまった。

そういえば、タイトルに

「どんなじじいになるのか?―疎まれもせず、重宝がられもせず・・・が、理想かな?―」

と入れておきながら、自分のことを書いていなかったな、と思いついたからである。

 

その前に、今回相談について、回答者は次のように結論づけている。

自分は正しいというプライドを取るか、親子関係を再構築する方に動くか、あなたの選択にかかっています。

どちらをとっても、誰からも文句を言われることはないですよ。―

 

回答者は、この相談者に「全面降伏」を提案している。

相談者に同調して息子の方を非難することなど一切していない。

私もそれで正しいだろうと思う。

 

「あなたが変わらなければ、周りの状況は何も変わりませんよ。」

ということなのだ。

もちろん「変わらない。」という選択もある。

それでも周りには何の影響もないから心配する必要はない。

 

この相談者の未来は、どちらをより強く望むか、ということにかかっているのだ。

人がもし、柔軟に生きる術(すべ)を身につけられないようであれば、人生の終盤において、かなりきついしっぺ返しを食う可能性があることを、この人生相談は教えてくれる。

 

さて、そう言いながら、私は柔軟に生きているだろうか? 

まあ、少なくとも身近な誰かをターゲットにして非難するようなことはしていないつもりだ。

 

父や母と、仕事をめぐる見解ややり方についてかなり揉めたこともあるにはあったが、それもやがて収まった。

それはどちらかといえば私が、「時代に合わせて柔軟な対応していくこと」をビジネス上での信条としてきたからである。

 

向こうに合わせていれば、今の事務所の姿はなかったかも知れない。

そう考えると、比較的柔軟な方なんだろう。

 

あとは家族とどうすり合わせるかだな。

ちょっとした課題ではある。

 

          自分で料理も作ります。

おしまい