知り合いと友人と親友と―俺の人生に「友情」はあったのか?―Ⅱ

さて、中学時代からの友人たちが頻繁に送ってくるLINEの写メやコメントを見ながら私は考える。

友だち或いは友人と呼べる連中を意識し始めたのはいつごろからだったのだろうと。

 

思い出してみれば「友情」というものを明らかに意識し始めたのは、小学校高学年のときからだった。

転校生だった私は、同じくあとから転校してきたA君とはすぐに親しくなった。

 

彼は頭もよく、体育や音楽も得意な万能選手だった。

音楽だけはどうも苦手だった私からは、オールラウンドプレーヤーの彼は少しうらやましい存在だったように記憶している。

 

或る時、どういう意図のものだったか思い出せないが、学校側が生徒からアンケートを取ったことがあった。

その中に

「あなたは、なにか困ったときは誰に一番に相談しますか?」

といった質問があった。

 

私はその回答に、友達のA君の名前を書いた

あとでA君に、そのアンケートに誰の名前を書いたか聞いたら、彼は「親」と書いた、と教えてくれた。

 

まあ、考えてみれば、そっちの方が妥当な答えで、私のように、小学生の頃から親友の名前を書く方が珍しいかも知れない。

しかし、私は彼のその妥当な答えを聞いてがっかりしたことを覚えている。

 

「親」という答えを聞くまでは、何となく自分の名前を書いてくれるんじゃないかと思っていたのだ。

今思い出してみれば、私の「親」に対する思い入れが希薄で、彼との「友情」の方に異常に肩入れしていたのかも知れない。

 

そんな「彼こそが一生の親友」と思っていたA君とも、お互い中学進学で別れ別れになってからは、結構疎遠になってしまった。

その後、夏休みや冬休みなど、何回か会ったことはあったが、あれほど思い入れのあった「友情」が続くことはなかったのである。

 

        友人の別荘で友人とくつろぐ。(写真の彼はオーナーではありません。)

つづく