「成功体験」という魔物が深く刻み込まれてしまった―「それこそ」がよかった時代は、実は「それでも」良かった時代だった―Ⅲ

今振り返ってみれば、地縁血縁関係に立脚した商売が、「それこそ」正しいのだ、と自信たっぷりにレクチャーされた。

そのやり方考え方で、日本中隅々まで商売が繁盛した時代があったのだ。

 

その成功体験によって手中にした財貨は、当時としては半端ではなく、全国津々浦々真っ当に商売をしていさえすれば、商売人は儲かったのである。

当時は公務員にしろ、学校の教師にしろ、銀行員にしろ、勤め人は商売をしている人に比べれば、所得はかなり低かった。

 

また、そういった時代が30年以上続いたというのは世界的に見ても稀有なことだったのだ。

しかしながら、このいい時代が太く長く続いた、というのが後々、ビジネス感覚を狂わす大きな要因となったのである。

 

先述のように「それこそ」が正しいビジネスマインドなのだ、と強く刷り込まれてしまった。

多くの地方の商売がうまくいった人たちに「成功体験」という魔物が強く深く刻み込まれてしまったのである。

 

しかし、今考えてみれば、地方にも多くの人口が存在し、「地縁血縁」というある意味営業不用な村社会で商売を成功させるのは、それほど難しいことではなかったのである。

実際、当時商売を始めた多くの人々が、みなそれなりに成功しているのだ。

 

地縁血縁に依拠したビジネスモデルは「それこそ」正しく立派なモデルだったわけではなかった。

それは、単に「それでも」OKなモデルだっただけのことなのである。

 

こう書いてきたからといって、私が何でもかんでも「地縁血縁否定論者」だと思われは困る。

祖父祖母の世代まで大事にする親戚づきあいはあってしかるべきだし、そこから生まれるコミュニケーションは、人間形成の上で大きなプラス要素になると思っている。

 

 

つづく