質問は一種の「触媒」となって議論の質を高めてくれる―「情報発信」の「即時性」について考える―Ⅲ

相手の情報を受けた上で適時発せられる質の高い「質問」は、それ自体が呼び水となって、より深い情報交換のステージへと我々を導いてくれるかも知れません。

つまり、良い「質問」というのは一種の「触媒」となって議論の質を高める役目を果たしてくれるのです。

 

近年、「質問力」といった言葉が注目されているのは、こういった現象を期待してのことかも知れません。

「質問」というと、どこか受動的な行為の延長のような印象が拭えませんが、「情報発信」といった要素が含まれていることを意識したならば、ある意味能動的で踏み込んだ知的行為ということもできるのです。

 

私は仕事柄、他者の主催する研修やセミナーにもよく出席します。

その内容が高レベルで、講師の質が良かったときは、メモを取る手が止まらず、こちらからも突っ込んで聞いてみたいことがいくらでも湧いてきます。

 

ときには、メモ紙が質問事項でいっぱいになるくらいです。

ですから、セミナー講演の後、質問タイムが儲けられているときは、必ず手を上げて質問をするように心掛けています。

 

ただ、客観的に見ていると、こういうとき、日本人はまず質問しません。

聴衆の数が多くなればなおさらのことです。

気後れするからでしょうか。

 

確かに大勢の中で手を上げて質問するのは、かなり勇気がいりますし、いささか恥ずかしい思いもします。

しかし、せっかくのチャンスなのに質問しないのはもったいないことです。

 

とはいえ、そこは大勢の人間の貴重な時間を使っている場ですので、つまらない質問をしたらそれも迷惑です。

質問の内容を吟味し、質問の仕方や表現に気を配るのは当然のことといえましょう。

 

 

つづく