カルロス・ゴーン逮捕についてザックリと思うこと―反映される日欧の文化の違い―
カルロス・ゴーン逮捕、の一報を聞いて、私が瞬間的に最初に思ったのは、フランス、いや欧米はどうとらえるだろう?ということでした。
「遠い極東アジアの地で、我らのエース経営者が捕らえられた。いったいこれはどういうことだっ!!」
事情はどうあれ、彼らが相当な不快感を示すのではないか、と直感的に思ったのです。
その後、所得隠し、会社資産の私的流用、べらぼうな海外不動産など次々とかなりの所業が明らかになって「なるほど逮捕もやむなし、だったのか・・」と、私を含めて日本人としてはそれなりに納得したのではないかと思います。
しかしながら、私が最初に直感した通り、欧米の反応は日本人のそれとはかなり違っているようです。
早速出てきたのは「陰謀説」であり、主導権争いの手段として検察を動かしたのではないか、といった見解などです。
まあ細かい事実はこれから出てくるでしょうから、ここではそこには触れずに、もっとざっくりとこの一件がどう捉えられてどう動いていくのか考えてみたいと思います。
そこで考えるに、階級社会を前提とした、欧米の政界、経済界の支配者階層はこう思ったのではないでしょうか。
「2兆円もの負債を抱えて四苦八苦していた日産自動車を僅か2,3年でV字回復させたんだ。百億や2百億の報酬をもらってどこが悪い。要求して当然だ。」
くらいに考えるのではないか、と思います。
一方日本人は、例えば「ミスター合理化」と呼ばれ、東芝や日本の財政改革などで、辣腕を振るった土光敏夫さんのことを思い浮かべるのではないでしょうか。
彼は、それこそゴーンさん以上の働きをしたにもかかわらず、生活面では極めて質素だったと言います。
「メザシの土光さん」と呼ばれていたのは有名な話です。
今回の一件は、日欧の文化の違いも相まって、これから様々な展開を見せるのではないかと思います。
いずれにしても、ここで思うのは「日産や三菱の日本人幹部たちよ。今度こそしっかりしてくれよ。」ということです。
大丈夫かな?!?あいつら・・・
おしまい